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沈黙

カウンセリングを学んでいたときに

講師からしつこいほど言われたのは

沈黙の大切さでした



日常会話において私たちは

沈黙を嫌い

当たり障りない言葉や

軽いジョークでその空白を埋めようとする



他者との間に突如現れる

その空白の時間に

恐怖すら覚える



なぜなら



口からペラペラと垂れ流す

もっともそうな言葉の

ときに何倍も


沈黙の中には

重量級の「何か」が詰まっていることを

わたしたちは本能的に知っているから



日常では語られぬ「何か」

普段見ないようにしている「何か」



そこから全力で目を背けるために

わたしたちは空虚な言葉を重ね

しなくてもよい行動をとり



「そんなもの」存在することさえ知らなかった



「やること」が多すぎて

そんなものに構っている暇はない

あ〜忙しい忙しい



というポーズを取ることに

人生の大半を費やしている




しかし



カウンセリングにおいては

クライエントのふとした沈黙にこそ

多くのものが詰まっていると考える



今まで涙ながらに人生ドラマを語っていた人が

ある質問ではたと言葉に詰まる




空中を彷徨うように見上げながら

ポツリポツリと語られる言葉




長く重い沈黙の後

深海から一滴の水を汲み上げるように

一言だけ搾り出される言葉




あるいは

面談の時間中

一言も発しない人もいる




聞き手は

相手が沈黙すると

無条件に緊張するものだが



でもそこが踏ん張りどころ




その恐怖を蹴散らすように

喋り出したくなるのは

自分の中にも同じ闇がある

という事実と向き合うのが怖いから

ただそれだけ



そんなふうに学びました




そしてこれは

カウンセリングだけでなく

私たちの日々の暮らしにも言えること



マグロ(回遊魚)のように

動き続けないと落ち着かないという人は

(私もまさにそうだった)

動き続けることで

一体何を見ないようにしているのだろうか



機関銃のように言葉を繰り出し

軽妙な会話を回すことに注力するとき

わたしたちはどんな沈黙の重みから

逃げたくて必死なんだろうか





止まっている人よりも

何かをしている人が偉くて


受け取るよりも

与える方が崇高で


消費よりも

生産に価値がある



と叩き込まれてきたわたしたちは

無意識のうちに




常に何かをしろ

常に何かを語れ

常に何かを作れ

常に何かを興せ

常に何かを変えろ



と自分を責め立てて生きてはいないだろうか?




何もしないこと

何も語らないこと

何も生み出さないこと




無為




その中にある広大な宇宙



感じてみるのは

そんなに怖いことなのだろうか



むしろ宝が詰まっている予感しかしないのは

私だけではないはず




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