専門家の落とし穴|知識の扱い方
最近わが家の子どもたちが、ごはんを食べなくなってしまったことで、学んだことをシェア。
私は元保育園調理、食生活アドバイザー、幼児食トレーナー。
食育については、おそらくパリサイ人。(ピリピ3:5っぽく言えば)
子どもが「この食生活を続けたらどうなるか」とか
子どもの「好き嫌いが多い原因」とか
子どもの体調不良時に「何をどう食べさせればいいか」とか
「食べ物が精神にもたらす影響」とか
「思春期のダイエットにどう付き合うか」とか
たぶんいくらでも話せるぐらいの知識は持ってる。
が、しかし、この知識がときには家族さえも滅ぼしてしまうと、つい最近気付かされた。
知識は良いもの
知識は銀よりも黄金よりも良いもの。知識があるから銀も金も手に入れられる。
だけど、「知識は人を高ぶらせる(1コリ8:1)、だから、自分の悟りにたよるな(箴言3:5)」っていうことばも何度も聞いた。
でも何度も聞いていると、「知識は悪いもの」と刷り込まれちゃうんだよね。
知識は良いものです。ただ、知識は使い方次第で、人を生かす盾にも、人を滅ぼす武器にもなることを、忘れてはいけない。
知識は盾にも矛にもなる
で、結局わが家の子どもたちがどうなったのかという話に戻る。
子どもたちがごはんを食べなくなった問題を、私は知識で解決しようとした結果、ますます子どもたちがごはんを食べなくなった。
これがわが家に起こった事実。
はじめに書いたように、私には、子どもの食に関して、若干の知識がある。
ゆえに、どんな食生活をすると「未来の健康」を損ねるかも知っているし、どんな食生活が「非行」に繋がるかも知っている。
結果、「子どもの未来」だけを見てしまい、子どもの心に「今」起こっている問題を、一つの角度からしか見なくなっていた。
子どもの健康を考えて、おやつの時間・内容にもこだわり、いわゆる「お菓子」は与えないでいたし、
「大人だったらアウトなマナー」に逐一アウトを出してしまっていたり。(「足ちゃんとして食べなさい」とか「麺一本ずつ食べるな」とか)
子どもの年齢に応じた心理・頭脳の発達プロセスのことなど、一切考えていなかった。
「お菓子」には幸せを与える側面もあるし、「もしかしたら口を汚したくないから麺一本ずつ食べてるのか?」なんてことを考えることさえ抜けていた。
一角度の知識でしか問題を見れなくなると、問題を平面でしか見ることができなくなる。
食の知識からだけではなく、心理学的に、生物学的に、人文科学的に、あらゆる視点からわが子の問題を考えていれば、いち早く問題のカタチに気づくことができたかもしれないのに。
人の定めた「正解」を知りすぎると、正解どおりにいかない時に、子どもにあたってしまったり、自分を追い込んでしまったりする。
知識に匹敵する「経験」
たとえば、もし子育てにすごく悩んでいるとしたら、
子育てしたことのない「教師歴30年の子ども教育評論家」と、
何の肩書きも資格もない「5人の子育てママ」と、
どっちに相談する?
私は断然、5人の子育てママ。
そう、それだけ「経験」というのは、知識に代わる。
どんなに専門家でも、自分が持っている知識はまだ、「始まり」にすぎない。世の中には、自分の知らない知識のほうが、遥かに多い。
アップデートされる知識で、常に自分をアップデートしていかないと。
子育てを始めて5年。母としてはまだまだペーペーだけど、この5年でたくさんの経験をさせてもらった。育児書には書かれていないことばかりの5年だった。これからも、たくさんの経験が待っていると思う。
育児書(マニュアル)に書かれていることがいつだって正解なわけじゃない。
うちの子は3人とも、育児書通りにいかないどころか、保健師や助産師さん泣かせの子だった。おかげで、知識が増えた。
知識は良いもの。だけど、その知識がいつでも正しいとは限らない。
知識どおりにはいかないことも、人生には多い。
だけど、知識があるから、自分も家族も守ることができる。
知識を使うときには、あらゆる分野から問題を分析し、臨機応変に知識を用いる「知恵」が必要だ。
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