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能登で暮らしたはなし ⑤別れ

自分の能登体験を発信することで、能登の関係人口を増やし、間接的に能登の復興を手助けすることを目指しています。

最初のはなしはこちら。

マガジンにまとめています。

体調不良

能登での生活に馴染み、毎日を充実して過ごしていた私であったが、だんだんと体調不良の日が増えてきた。

身体が思ったように動かない、寝ても寝ても眠い。
朝起きるのが異様に辛い。
18時の仕事が終わると身体が鉛のように重くて、そこからバイトに行くことがしんどくなってきた。

私は妊娠していた。
相手は埼玉にいるパートナーで、妊娠したことに気が付かずに私は能登にきていたらしい。

たまに詮索されるため包み隠さず書くと、避妊はちゃんとしていた。と思っていた。
中学校の保健体育で習う通り、どんな避妊方法も100パーセントではなかったのだ。
すごい確率で私のお腹にやってきた長男は、生まれながらのラッキーボーイである。これからも幸運に生きていってほしい。

今だからこうして振り返ることができるが、妊娠がわかった当時の私は混乱と動揺で、インターンハウスの自室で声を殺して泣いていた。

仕事ができない

紆余曲折あったが、私は子どもを生むことを決めた。
しかし、能登での挑戦を諦めるつもりはなかった。
インターンは3月までの予定だったから、最後までインターンを続け、埼玉に戻ったら残りの休学期間で出産するつもりでいた。

だけど私は甘かったのだ。
妊娠がわかってしばらくしてからやってきた悪阻は、私の体力と精神力を削っていった。

その頃から色々な事情があり、それまでのように大呑に行くことができなくなっていた。
毎日bancoでデスクワークをする。
現地に行けないため、同じような限界集落の再生例を探したり、大呑の文化やデータについてまとめたり。
どんどん大呑から遠ざかっているようでもどかしかった。

徐々にそれさえもままならない状態になってきた。
仕事をしながら何度もトイレで吐き、吐かずに食べられるものも少なく、どんどん痩せた。
進まない仕事と相まって気分も落ち込む。
バイトは辞めた。朝起きられないから、インターンハウスのゴミ捨てさえもできなかった。
できないことばっかり。

なんとか大呑に行くことができたある日、グリーンツーリズムの代表でもある、郵便局長さんが会いにきてくれた。

顔色の悪い私を見るなりこう言った。
「大丈夫かいな。」
それから、優しい声で続けた。
「やわやわ行かんかいな。」

「やわやわ」とは、能登の言葉で「無理せずゆっくり」という意味。
つまり、「無理せずゆっくりやればいいよ」。
能登の優しい言葉に、私は救われた。

能登を離れる

たくさんの方に配慮してもらいながら、何度も話し合いを重ね、結局私はインターンを中断し、埼玉に戻ることになった。
プロジェクトはあっちゃんは引き継いでくれた。

プロジェクトのミッションは何も達成できなかった。
なにも能登に残すことができなかった。
たくさんの方々にお世話になったのに、迷惑をかける結果になってしまった。

すごくすごく、悔しかった。

本当に迷惑をかけてばっかりだったのに、大呑ではわたしの送別会を開いてくれた。
漁師の方が大きなフクラギを持ってきて捌いてくれて、立派なお造りにしてくれた。
のと信の社員の方はbancoまで来て、プレゼントを手渡してくれた。
あっちゃんは一本杉通りに走り、結婚する私のために夫婦箸を買ってきてくれた。

荷物をまとめてインターンハウスを出る日、いつも忙しいなみさんが七尾駅まで送ってくれた。
なみさんとあっちゃんに見送られ、わたしはバスに乗った。
「赤ちゃん生まれたら会いに行くわ」
迷惑をかけ続けた私に、能登の人たちはずっと優しかった。

能登は優しや土までも。
能登の優しさを、私は身をもって知ったのだ。

バスの中でたくさん泣いた。
何も達成できなかった自分が悔しくて、たくさん迷惑をかけたことが申し訳なくて、お世話になった方々と、能登の里山里海と離れることが寂しくて。
泣きながら能登を離れた。

あの日から私は一度も能登に行っていない。

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