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能登で暮らしたはなし ②能登に入る

自分の能登体験を発信することで、能登の関係人口を増やし、間接的に能登の復興を手助けすることを目指しています。

前回の投稿はこちら。

今回は、初めて能登に行くと決めた日から、実際に能登での生活を始めた日のことまでを書きます。

能登に行くために

能登に行くと決めた私は、さっそく能登留学に申し込んだ。
能登留学にはさまざまなプログラムが用意されており、そのなかから自分のやりたいことを選べるシステム。
能登留学を運営する株式会社御祓川の地域コーディネーターである「えんさん」とオンライン面談を重ね、私は限界集落「大呑地区」の脱・限界集落のモデル地区化を目指すインターンに参加することに決めた。

(ちなみにこのえんさんは株式会社御祓川の最若手社員。可愛くてしっかりしたインターン生のお姉さん的存在で、今でも私があこがれる女性の一人。
能登に入る前から、能登を離れるその日まで、本当に本当にお世話になった人。)

インターンの開始は10月から。
8月に、4年後期からの1年間の休学申請を大学に提出。顔見知りだった大学の事務局のおじちゃんに根掘り葉掘り聞かれ、餞別におまんじゅうをいっぱいもらった。

インターンは半年間で、半年後には戻ってくる予定があったんだけど、なんだかもう必要ない気がして一人暮らしをしていた部屋を解約した。大きな家電は売るか知り合いにあげるかして、残りの荷物は軽トラに乗せて福島へ。
生活に必要なものは段ボール二箱に詰めて七尾に送った。それで部屋はすっからかん。

1年半暮らした部屋をあとにして、池袋から金沢行きのバスに乗った。10月なのに蒸し暑い夜だった。

最後に一人暮らしをしていた部屋。大学Wi-Fi圏内だった。

能登半島七尾市へ

目的地である七尾市は、金沢駅から真っ赤なJR七尾線に乗って21駅、約1時間半。
宝達、羽咋、能登部、しらない地名の駅を電車は走る。

終点の1つ手前の七尾駅で下車。
駅舎を出ると、御祓川の社員のお兄さんが待っていてくれて、これから暮らす家に案内してくれた。

能登留学に参加しているインターン生は、御祓地区にある「インターンハウス」と呼ばれる一軒家で、社長も含めた共同生活を送る。
要するにシェアハウス。
1階には小上がりのリビングとキッチン、社長の居室があり、インターン生は1人につき2階の一部屋を割り振られる。

初めてインターンハウスに訪れた時、ハウスには誰もいなかった(鍵はあいていた!)。
「もう少ししたら1人帰ってくるから、あとはその子に聞いて〜」とお兄さんは帰ってしまい、1人インターンハウスに取り残される。

どうすればいいのかな〜とリビングで手持ち無沙汰にしていると、ガラッと玄関の引き戸が開き、「ただいま〜!」と元気な声が響いた。

これが私と「あっちゃん」との出会いである。

七尾の生活の幕開け

あっちゃんは兵庫県丹波市出身の同い年。
埼玉県内の大学を休学して2018年前期の能登留学に参加。
そのままの流れで、七尾市内の自動車教習所に通うため、インターンハウスに滞在中。
丹波が大好きだから丹波ちゃんと呼ばれていたけど、いまは七尾が好きすぎて離れたくない。

といった内容の情報をばーーーっと喋り、最後に「お腹すかへん?中華とおでんどっちが好き?」とにっこり笑った。

2人で近所の中華屋さんまで歩いて行った。
大盛りのラーメンをすすりながら、わたしが能登にきた理由や参加するプログラムの話をした。

満腹になって店を出ると、あっちゃんが「疲れたやろ?お風呂行こうよ!」と言った。
歩いて10分くらいのところにある銭湯に2人で向かい、湯船に浸かった。
その日に初めて会った人と一緒にお風呂に入るなんて初めての経験だった。

ぽかぽかの身体でインターンハウスに戻ると、玄関に靴が一足置いてあった。
「ダイアナさん帰ってきてる!紹介するわ!」
あっちゃんがダイアナさんを紹介してくれた。

ダイアナさんはマレーシアの大学院生で、私と唯一の同期の能登留学生だった。
イスラム教徒で、食べられない食材が多いとのことで食事は別にすることになっていた。
ヒジャブを巻き、優しい笑顔で日本語が上手。

「今日は『なみさん』は帰ってこないんやって。」
なみさんは御祓川の社長でインターンハウスの家主。
とても忙しい方なので、帰ってこなかったり帰りが遅かったりするらしい。

2018年の冬、インターンハウスに暮らしたのはこの4人。

こうして私の七尾での生活は、あっちゃんの笑顔とともに始まった。

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