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能登で暮らしたはなし ③能登の生活 仕事編

自分の能登体験を発信することで、能登の関係人口を増やし、間接的に能登の復興を手助けすることを目指しています。

最初のはなしはこちら。

マガジンにまとめています。

今回は、七尾であたっていた仕事について書きます。

インターンの生活

インターンは週5日9:00~18:00でフルコミット。
活動支援金が支給され、それで家賃や食費はまかなうことができたが、「地域で働く」をより実践したいと思い18:30~22:00は地元食材を使った居酒屋でバイトをしていた。
バイトがない日には、御祓川が開講する夜の講座や交流会、食事会(飲み会)などに参加することもあり、とにかく毎日が出会いの連続だった。

大呑(おおのみ)地区へ

私の活動場所である大呑地区は、七尾市街地から高速道路を使って20分くらいの場所に位置する(市内なのに!)。
おとなりの富山に足を踏み入れる方が断然近い。

学校は廃校となり、子どもの人数は片手で数えるほど。地域に並ぶのは空き家ばかり。
日用品や食材を売る店はないのに、市街地へ行けるバスは1日数本。
そんな典型的な過疎地域。
農地は多いけど、後継者がいないため耕作放棄地も多い。
能登の人たちが大事にする伝統文化であるお祭りさえも失われてしまっていた。

集落で会うのは高齢者の方ばかり

ないものを数え上げたらキリがない。
だけど宝物みたいなものもたくさんあった。

山にはきこりがいて、能登の里山を守っている。
森のこもれびのもと育つ原木のしいたけ。
川には鮎が遡上し、夏にはつかみとりができる。
佐々波漁港には、世界最大の定置網が張られている。この定置網の箱網にブリがいっぱいになると、「氷見の寒ブリ宣言」がされるらしい。
氷見っていうけど、氷見じゃないんだよ。

忘れちゃいけない「巻鰤」。
大きな寒ブリを塩漬けにし、藁で巻いて軒下に半年間干して乾燥させる。
薄くスライスしながら食べる。酒のあてに最高。
能登の名産品としてお土産用に量産されているものもあるけど、昔ながらの製法で作られる大呑の巻鰤は味も格段に違う高級食材だ。

夜になると月明りだけが大呑を照らす。
内湾である富山湾は、いつも静かに優しく凪いでいる。
気温が下がる10月ごろからは、富山湾のむこうに立山連峰が臨める。

月明り
山から臨む、富山湾と立山連峰

大呑で生まれ、大呑で育ち、大呑で働く人たちは、そのほとんどが農家・漁師・木こり。
大呑の自然のなかで生きて、それを仕事にして、そこでお金と食べ物を得る。
生活はシンプルだ。
だけど、人間が自然のなかで営み、生きるってそういうことなんだと知った。

能登の里山里海は、そのすべてが世界農業遺産として指定されている。能登の自然のなかで生きる人たちからは、その誇りが感じ取れた。

大呑ビジョンを作成せよ!

そんななか私に課せられたミッションは「大呑ビジョンを作成せよ!」。

超少子高齢化の大呑地区で、若手(50代~)住民が集まって結成したのが、私が加わることになる「大呑グリーンツーリズム推進協議会」。

大呑ハウスと呼ばれる建物を拠点に、郵便局長や木こり隊員、漁師さんなどが仕事の片手間に地区を盛り上げる取組をしていた。具体的には、大呑の自然を活用したレジャー体験や、木こり体験など。

これらの取り組みをもっと強化し、限界集落に魅力と価値を与えることで、若者の出入りを増やし、「ここに住みたい」と思えるような集落をつくる。
これが、「大呑プロジェクト」と名付けられた計画の最終目標。
大呑ハウスに宿泊機能を備えて、地域住民と観光客や移住者、さまざまな方がコミュニティ形成をできるような場にすることが理想形。

私はこのプロジェクトの1期インターン生だったから、まずは地域住民の方に私たちの意向をしってもらいつつ、住民の方の困りごとや悩みを聞き出し、双方のニーズに合ったようなプロジェクトの方向性を定めることが急務であった。
同時に、今のニーズや状況を踏まえた上で大呑の10年後のビジョンを作成し、プロジェクトの長期目標を設定・それに対する具体的な行動案の提示をすることを目標とした。

大呑が直面していた限界集落という状況は、遠くない未来で能登半島全体が直面する問題だともいわれている。
(震災があり、その未来は足早にやってきている。)
そして、そこから魅力や価値を見出そうとする大呑グリーンツーリズムの取り組みは、能登の共通課題として、「のと共栄信用金庫(のと信)」からも注目されていた。

大呑プロジェクトは、大呑グリーンツーリズムと株式会社御祓川、のと信の3組織が一体となり進めていくことに決まった。

大呑を歩く

3組織で進めるといっても、実際にプロジェクトにフルコミットできるのは、インターン生のわたしともう1人の協力者の方だけという状況。

プロジェクトの顔として、私は大呑を歩いた。
まずは一軒一軒をまわり、自己紹介をするところから。
地域の方に出会ったらなるべくたくさん話をして、困りごとがあったらなんでも手伝うことにした。
それこそ、電球が切れたのを変えるとか、野菜の収穫が間に合わないのを手伝うとか、そんな世界線で。

観光客の方が来たら一緒に窯でピザを焼いた。
物産展に出店するために大呑産のお米のパッケージをデザイン。
実際に東京駅に出向き、「能登からきました」と販売した。
植樹祭では、里山に200本の桜の木を植えた。

地域の空き家を借りて、夜の予定がない日はそこで寝泊まりをした。
1日でも早く地域に馴染みたくて。

ブランド椎茸「呑娘」が育つ原木

だけど、住民の方々は大呑に変化を望まない。
今の状態が好きとかじゃなくて、半分諦めてるような、半分億劫なようなそんな感じ。
だから、大呑を元気にしたい!っていくら息巻いても、私は結局「よそ者」。

地域の方のニーズを聞き出せないと、プロジェクトの方向性も定まらない。
関係者が多いことより、意見のとりまとめも一苦労。
地域住民を巻き込んだ、主体性のある地域おこしを実現するためには何が必要なのか、わからないまま毎日がすぎる。

悩んで、わからなくて、いろんな人に相談して、悩んで、わからないから身体を動かした。
地域をたくさん歩き、大呑のことを知ることに決めたのだ。

仕事は大変だったけど、大呑が好きだった。
毎日大呑を歩くことができたあの日々は、今思うと幸せだったんだなあと感じる。

毎日新しい発見があり、新しい出会いがあった。
そして何より、能登の里山里海が、私にパワーをくれていた。

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