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能登で暮らしたはなし⑤それからと震災と

自分の能登体験を発信することで、能登の関係人口を増やし、間接的に能登の復興を手助けすることを目指しています。

最初のはなしはこちら。

マガジンにまとめています。


能登を離れてから

能登を離れてから、一度も能登を訪れていない。
忙しさもあったけど、インターンを途中で投げ出してしまった負い目もあったと思う。

長男が生まれたあと、あっちゃんとなみさんが埼玉の自宅まで来てくれた。能登のインターンハウスで一緒に過ごした2人が、自分の家にいることがちょっとおかしかった。

Facebookを開くと能登の方々の投稿が並ぶ。
私が子どもの写真を載せると「大きくなったね、かわいいね」とコメントをくれ、誕生日には「おめでとう、青柏祭にぜひおいで」と毎年メッセージをくれる方もいる。
たった数ヵ月、能登で過ごしただけの私に、能登の方々はずっと優しい。

節目節目で能登の方々の優しさを感じながら、月日は流れた。
私が能登を離れてから5年がたっていた。

震源地は能登

2024年1月1日16時10分。
年末年始の帰省で郡山にいた私は、姉と車で郡山駅へ向かっていた。
(この数日後にまた郡山に戻ってくるのだが、この時はまだそれを知らず、埼玉の自宅に帰るところだった。)

緊急地震速報が鳴る。
ほぼ同時に、周囲の建物がギシギシと音を立てて揺れる。
揺れが大きくなる可能性も考え、姉は路肩に車を停めた。すぐ横のビルがぐらぐらと揺れているのが見える。
さらに揺れが大きくなるかと思われたが、そのまま揺れは収まった。震度3か4くらいの感覚。

東日本大震災以降、福島県沖を震源地とする地震は頻発している。
今回もそれかと思い、スマホを開くと、思いもかけない情報が表示された。

震源地は能登半島。最大震度7。

さーっと血の気が引くのがわかった。
能登から遠く離れた福島であっても、車に乗っていてもわかるほどに揺れた地震が能登で発揮した威力はたやすく推測できた。すぐにカーラジオをつけた。
間違いなく震源は能登半島。

続いて大津波警報が発令される。
東日本大震災以来の大津波警報。

フラッシュバックしたのは、3月11日のこと。
震度6強の揺れのあと、ラジオから鳴り響いた大津波警報と、翌朝の新聞1面に載った海に沈んだ町。

まっ先にあっちゃんのことを思い浮かべた。
あっちゃんは能登留学後、七尾で木こりとして就業し、結婚して赤ちゃんが生まれたばかりだった。
赤ちゃんを抱えたあっちゃんが、大地震と大津波警報のなかどうしているのか、無事なのか、逃げられているのか。

すぐにInstagramでメッセージを送った。
「落ち着いたら連絡ください。」
混乱期の安否確認の連絡は避けたほうが良いとあとから知ったが、そのときはとにかく彼女の無事が知りたくて、祈るような気持ちでメッセージを送った。

続いて能登でお世話になった方々の顔と、能登の自然が浮かび、ラジオの向こうの避難指示を聞きながら、涙をこらえることができなかった。

眠れない夜

乗る予定だった新幹線は運転見合わせ。
精神的にも子ども2人を連れて帰れる状況でもなく、姉の家にもう一泊することにした。

その夜は眠れなかった。
3月11日の夜に、何度も緊急地震速報がなって、そのたびに飛び起きていたことを思い出していた。
ニュースで七尾や能登の様子を見る。輪島が燃えている。怖くて仕方がないのに、目をそらせない。
泣きながらテレビを凝視する私に、姉が「もうみないほうがいいよ」と声をかけたけど、それでも目をそらせなかった。

Facebookを何度も開く。七尾の知り合いが何人か無事を知らせる投稿をしていた。

「私も家族も無事で避難所にいます。」
夜遅く、無事を知らせるあっちゃんの投稿を見て、ようやく少し眠ることができた。

震災後

翌日の新幹線で埼玉の自宅に帰った。
そこから数日は、能登の方々の様子が知りたくてFacebookをしょっちゅう開いた。

なみさんは、地震直後にいち早く実家の家業でもある自動車教習所の宿泊施設を避難所として開放していた。地域の方々がそこで身を寄せ合って一夜を過ごしたらしい。
普段から地域の担い手として活躍していた御祓川の社員の方々やその関係者の方々が、率先して避難所の運営や炊き出しをおこない、助け合って過ごしている様子が伝わってきた。
道路の通行可否を知るためのアプリをすぐに開発した方もいる。

私は何もできない。
私がしたことと言えば信頼できる団体に寄付金を送ったことくらい。
あとは粛々と日常を送り、経済をまわすことに徹した。一緒になって苦しむことはよくないとわかっていたから。

わかっていたけど、ずーっと心の中に重い石が沈んでいる気分で毎日をすごいしていた。気を抜くと泣いてしまいそうな日々が続いた。
私は震災というものに感情移入をしすぎてしまう。

これはよくないなぁと過ごしていた、ある日。
家庭のなかで起きたやんごとなき事情により、私は子ども2人と家を出ることになった。
正直言ってこれもすごく辛かった。


人間は、辛いことが1つであれば乗り越えられるという。
しかし、辛いことが2つ重なると、ダメになるらしい。

ダメになりそうだった私は、能登から目をそらした。
ニュースを遮断し、Facebookを開くのをやめた。
私はまた、能登から離れたのだ。

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