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ほしいもの

家が欲しい。
庭付きの一戸建ての家。


2歳の頃から郡山のはずれにある一軒家に住んでいた。
薄給だった父がローンを組んで建てた家。
郡山市街地まで車で30分以上かかるそこは、当時とても地価が安かったらしく、それなりの大きさの家の北側には3台分の駐車スペース、南側にはそれなりの庭がある。
庭には琵琶やブルーベリー、イチジクの木が植わっており、私が高校生の頃までは柴犬をその庭で飼っていた。

その「家」の存在は、必ずしも私の心の拠り所というわけではなかった。
そこで育った記憶はもちろんあるんだけど、なんだか良い思い出はあんまりなくて、どちらかというと家に寄り付きたくなかったような、そんな感じ。

家族4人であの家で暮らしていたのはもう12年前。
姉が家を出て、私が出て、母が出て、今は大きな家で父が一人で暮らしている。

あんまり家に良い思い出はないはずなのに、子どもが生まれて子育てをするうちに、わたしは家が欲しくなった。
自分が庭付きの家で育った記憶があるからだろうか。
庭で飼っていた愛犬が大好きだったからだろうか。
わからないけど、自分の家で、子育てがしたくなった。


だから、家を契約した。
そう、契約した。
ローンの審査もとおっていた。夫は個人事業主でローンが組めなかったから、私の単独ローンと、2人で出し合った頭金で、2人で気に入った新都心の近くの小さな家を契約していた。
庭はなかったけど、わたしのこだわりのリビング階段。夫の店へも自転車で通勤できる距離。コンパクトな4LDKの建売新築。

その家の契約をしてから、引き渡し日が楽しみで楽しみで。
毎晩間取りを眺めて、そこで過ごす未来を想像した。
寝ても覚めても仕事中も、ずっと家のことを考えて、幸せな気持ちになっていた。
大好きな自分の家があれば、辛いこともなんとか乗り越えられるんじゃないかって思っていた。


結局、その家のことも原因の一つとなり、夫婦関係は破綻。
ずっとずっと楽しみにしていたマイホームの夢をわたしは手放した。というか2人で手放した。
家の引き渡しの3週間前のこと。
契約時に払っていた手付金130万円はどぶに捨てた。

縁がなかったんだと思う。あの家に。
わたしは家のことを考えるのをやめた。


今日、実家に帰った。
新車が納車されたという父は上機嫌で、仕事が休みだった母は遠方から孫たちの顔を見に駆け付け、わたしは公園からそのまま実家に向かい、早々に子どもたちをお風呂に入れてのんびりと過ごす。
リビングと続いている和室で、子どもたちは私が子どもの頃に遊んでいたシルバニアのおうちに熱中している。

母は時折和室をのぞいて微笑み、父は子どもたちの声を聞きながら新聞をめくる。
10年以上前の、ギスギスとした家の空気は、時を経て丸くなっていた。
私たちはそれぞれがたくさんの選択を重ね、適切な距離をみつけて、そしてそこに元気な2人の子どもが加わって、もう一度この家で家族の形を見つけたんだと思う。

和室の開け放した窓辺に座り、子どもたちの声を聞きながらそんなことを考えていた。
そして、和室に面する庭の上に広がる青空をみて、ふと思った。

家を買おう。

今は無理でも、5年、10年たってもいい。
家を買おう。その場所が子どもたちにとってどんな場所になるかはわからないけど。
家を買おう。たとえ失敗しても、何度でも家族の形を作り直せる場所を。だってわたしと子どもたちは、血でつながっている。

1人で子どもを育てながら家を買えるかなんて本当はわかんない。
だけど夢見るのは自由だ。目指すのは自由だ。
今度は争いごとのおこらない、平和な気持ちで家を買いたい。

そのためにはやっぱり、働かなきゃなあ。
あたたかい春の空に、がんばろう、と誓った。


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