認知症の人の入浴事情
なんとなく臭う
髪の毛がべたついている
毎回、同じ服を着ている
顔の汚れや髭の伸び
爪が伸びている
そんな場合、入浴していない可能性があります。
ヘルパーで現場にいた頃は、浴室の使用状況を確認するために日々、浴槽小物の配置確認までしたことがあります。
(小物が動いていない→浴室使用していない→入浴していない)
入浴しない理由
認知症に限らず、入浴したくない理由は様々あると思います。
寒い
足腰が痛む
面倒くさい
入らなくても困っていない
中でも、手順が分からないという状態になると、介助や声掛けが特に必要になります。
冷水を浴びていた
私の父は若年性認知症で見た目や話すことは、ある程度、年相応でした。
実家の母から「お父さんがお風呂に入らなくて困っている」と聞き、入浴をこっそり確認してみた際の出来事です。
母は「汗かいて臭うから入って」の一点張りで
父は浴室に行きたがらず、行っても棒立ちの状態。
「入って」「分かった」と互いに押し問答し、浴室へ入っていった父。
私も一安心し、リビングで待っていると
その数分後、あっという間に着替えはしているものの、頭はびしょ濡れの父が部屋へ来ました。
「もういいや」と言うのです。体はとても冷えていました。
私は急いで浴室へ行き、浴槽を確認。蓋は閉まっていて、シャワーを出すと水が出ました。
普通、湯を出した後であれば、ある程度、温まった湯が出ますよね。
当事者と介護者の意識は違う
入浴という行為にとらわれすぎていた母。入るのが面倒になっているだけだと思っていました。
しかし、父は入浴という行為の前に思考が繋がっていなかったのです。頭と動きが繋がらないといった方がいいのかもしれません。
普通、シャワーの出し始めは水が出るので、手にかける等して湯温の確認をしてから浴びますよね。
それが父の入浴では、シャワーを手にもつ→頭から浴びる・・となっていたのです。
更に、待っていれば湯に変わる、という認識もできなかったと思われます。
それでは入浴が嫌なものになって当然で、もちろん拒否に繋がります。
認知症であっても感情は、機能として残ると言われていますので
という習慣になっていたのかもしれません。
母に怒られ、浴室に入るものの、毎回、水を少し浴び、着替えだけしていたのではないか。。と思うと、当時の私は胸が締め付けられるような気持ちになったのを覚えています。
その対応で今後が変わる
入浴には私が立ち合ったり、デイサービスで入浴をしてきたり、父への対応を変えましたが、まだまだ家で出来ることはあったと感じます。
父の他界後に訪問介護を仕事とし、正社員で働いた私は日に多い時で3件の入浴介助に入りました。
(他にも排泄介助や生活援助で毎日トータル約7件のお宅は訪問)
自宅でヘルパーと安心して入浴し、会話を楽しむ利用者の方々。
ケアマネさんに福祉用具の提案を受け、安全に入ることができていました。何よりも本人ができることは自分でしてもらい、尊重するので、利用者は『できる』という喜びを感じられるのです。
自宅で暮らすということがもつ効果
自宅で暮らす効果。これは果てしなく大きいのです。
何より本人の意欲や自信、生きがいに繋がります。
介護報酬の改正でヘルパー事業所の存続が危ぶまれる今。
そして、ヘルパー自身の高齢化や成り手不足。
単身高齢者の増加や地域コミュニティの衰退。
社会全体の人口減少。
これからは自宅で暮らせない、しかし、施設も入れない。これでは元気な人しか生き残れない。
そんな時代に突入するのだろうと思うと悲しくなります。
ここにきての認知症基本法。いろいろと矛盾を感じます。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回は、認知症基本法について書いてみます。
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