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カツカレーは煩悩の落とし子。

カツカレーが好きだ。

カレー単体でも十分満足できるほどの量と美味しさがあるのに、そこに揚げたてのサクサクジューシーなカツをのせてしまうという、背徳のこもった贅沢さ。この組み合わせを最初に思いついた人への感謝は計り知れない。

しかし、カツカレーを食べる際、最後の一口がカレーだけになってしまったときの虚しさは嫌いだ。最後の最後で、カツという贅沢が幻想であったかのように感じてしまうからだ。小説の夢オチのような、行き場のないあっけなさ。食後の満足感を一気に奪ってしまうそんな事態は避けたい。そしてそのせいで、無我夢中でカツカレーを食べることは許されず、カツとカレーのバランス感を追求してしまうのだ。


ある日、友達とふたりで近所のカレー屋へ行き、同じカツカレーを頼んだ。楽しく話をしながら、私はカツとカレーの完璧な布陣を保ち、先に食べ終えた。満足を感じつつ一息ついた。

すると隣に座っていた友達に、「お腹いっぱいだから食べてほしい」と言われて皿を渡された。その上では、カツが姿を消した後のカレーだけが、もの寂しげにこちらを向いていた。大丈夫、私が全部食べてあげるからと心で呟き、冷めかけたカレーに手を付けた。美味しさを堪能するでもなく、先に食べたカツを想像しながらひたすらカレーを胃に流し込んだ。カレーが大好きだからこそ、こんなにも無機質な気持ちで食べるのは辛かった。カツ無きカツカレーは、私の心を虚無感で満たすのだった。

カツカレーとはいえ、そもそもカレーだけでも楽しめるように作られているはずだ。それがカツを失った瞬間に虚しさを感じてしまうのは、私の欲深さのせいなのかもしれない。カレーの中のカツという存在は、煩悩だらけの自分を浮き彫りにしてしまう。欲望に身を任せてしまった後に襲い来る現実の虚しさ。煩悩から生まれたカツカレーは、カツを失った瞬間にわたしの煩悩を戒める存在に早変わりするのだった。

あなたのサポートは、わたしの血となりカレーとなります。