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私は猿みたいだろうか

 ※これはあくまで私個人の感覚である。生まれつきの全盲の人がみんなそのような思いで生きているわけではないということを、誤解を招かれるとまずいので最初に書いておく。

 数日前、脇毛や胸毛などの毛を全く剃らないことを表明している女性に対し、ネット上で「猿みたいだ」などと批判が勃発しているというヤフーニュースの記事を読んで衝撃を受けた。なぜなら私もここ数年全く毛を剃っていないからだ。
 ぶっちゃけ毛を剃る行為ってめんどうではないか。それに人と関わる機会がほとんどないような今の生活では、他人から自分の体を見られることもないので、毛を剃る必要もないのだ。
 水泳の授業があった学生の頃のように水着を着る機会もないし、冷房が苦手なので外出時にバスや飲食店に入った時に寒くてもいいように予め長袖のシャツを上に羽織っているし、家に居る時は脇の下があまり見えないような長めの袖のTシャツを着ているので、普段の生活で体中の毛を見られることがほとんどないというわけだ。
 自分の体に初めて脇毛という物が生えてくるようになった小学校高学年の頃、母から脇毛を剃るように言われるのがとても嫌だった。さきほども少し書いたが、毛が生えてくる度にいちいち剃らなければならないなんてめんどうではないか。「水着や半袖を着た時に脇の下に毛が生えたままだと恥ずかしいよ」と言われても、生まれつき全盲の私には、人から見られるという感覚がよく分からなかった。男子は脇毛を剃らなくてもいいのに、なぜ女子は剃らなければならないのかが小学生の頃から納得がいかなかった。それでも目が見えている人たちには、女子の脇毛は恥ずかしいと思われているみたいなので、めんどうだが仕方なく剃っていた。
 それでも脇毛は水泳の授業がある夏だけ剃ればいいのでまだましだ。体の毛は脇毛だけではない。腕毛やすね毛だってある。それらの毛を剃ることにも意識を向けなければと思わされた出来事があった。それはほんの些細なことだった。
 盲学校で寄宿舎生活をしていた時の夕食時、向かいの席に座っていた弱視の男子から不意に言われたのだ。
「うわー、羽田さん腕の毛めっちゃあるー」
 彼は視覚障碍に加えて、軽度の知的障害を合わせ持っている、いわゆる盲重複である。それゆえに思ったことを悪気も無くついそのまま口走ってしまったのだろう。
 分かっている。そのこともよく分かっているつもりだ。しかし彼のその一言は、私にかなりの屈辱を与えた。と同時に人から見られて恥ずかしいというのはこういうことなのかと深く思い知らされた瞬間でもあった。
 それからはめんどくさいと思いながらも、毛を剃ることを積極的にするようになった。しかしその行為がどうしても好きになれない。まず毛を剃っている時にシェイバーに絡みついてくる剃られた毛の感触がどうも気持ち悪い。それに剃り終えた後に残るあのぽつぽつもなんか苦手だった。さらにアトピー持ちだと腕や足にアトピーができると、その傷が良くなるまでは毛が剃れないことも分かった。
 こんな思いをしながらも、何で女子はいちいち体の毛を剃らなければならないのだろうか。毛を剃らなくても良い男子が羨ましかった。
 べつに男女平等やジェンダー差別の解消を声高に主張したいわけではない。しかし男性に腕毛やすね毛があっても恥ずかしいと思われないどころか、人によっては色気すら感じるというのに、なぜ女子のそれはあると恥ずかしいのだろうか。ジェンダー差別とまでは言わないが、そのことが今でも納得がいかない。
そんなわけで、いつしか毛を剃らなくなっていた。こんな私はやはり猿みたいだろうか。女性として恥ずかしいだろうか。そうだとしたらせめて脇毛と腕毛ぐらいは剃らなければである。

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