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髪を縛ったら

 髪が延びてきた。去年の年末に切ったばかりなのに。今月中にまた美容院に行かないとなあ。

 それにしても、髪が延びてくると何がたいへんかって、それは手入れである。顔や目にまとわりついてくる長くなった髪を、指先でいちいちかき上げるのが本当にめんどくさい。
 それならヘアゴムで縛ったり、ヘアピンで止めたりすれば良いじゃないかと言われたら、まあそれもごもっともだ。しかしどちらかと言うと不器用な私は、そのような動作がとても苦手である。だから髪はできるだけ短くした方がすっきりして何かと生活しやすいと、ここ10数年ずっと思っている。

 そんな私だが、これでも小学校低学年の頃は、髪を縛ることに憧れを持っていた時期があった。その当時アニメ『美少女戦士セーラームーン』にものすごくはまっていた。セーラームーンみたいな左右お団子頭や、セーラージュピターのように髪を後ろで束ねてみたいと強く思っていた。
 私が小学生だった今から30年ぐらい前は、今みたいに「多様性」や「ジェンダー」と言った言葉や概念がまだあまり浸透していなかった。そのため本当の自分とはどのような物なのかとか、自分の性的思考の細かい部分などに気づくことができなかった。いや、気づきようもなかったのだと思う。女の子に生まれたのだから、自分も女の子らしく居なければならないのだと思っていた。いや、思わされてきただけなのかもしれない。だから髪が短い女の子よりも長い女の子の方がかわいいのだと思っていた。いや、思い込まされていたのだ。
 しかし髪を縛ってみたいと言うと母からは、「あんたの髪は堅いから縛れないよ」と言われた。さらに祖母からも、「髪が長いと目が隠れてみっともないから早く切りなさい」と天然パーマでくせ毛の髪が延びてくる度によく言われていた。そんなわけで髪を長くして縛ってみたいという憧れはなかなか叶わなかった。

 余談なのだけれど、生まれつき全盲の私が、なぜセーラームーンやジュピターの髪型を知っていたのか。それはカプセルトイや食玩に付いてくるキャラクターのぬいぐるみやフィギアなどを触って知っていたからだ。
 今思うと、こういった物はキャラクターを見ることができない全盲者にとってはかなり重宝していた。あのような小さなぬいぐるみやフィギアが入ったカプセルトイや食玩は、今もまだあるのだろうか。今でもスーパーのお菓子屋さんやゲームセンターの前を通るとついつい探してみたくなる。

 話を本題に戻そう。
 髪を縛ることに憧れを持っていた私は、自分の中ではだいぶ髪が延びてきたなあと思ったある日、思いっ切った行動に出た。
「その長さじゃまだ縛れんに」と止める母を無理やり説得させて、頭頂部の髪を、花の形が付いたヘアゴムで縛って学校に登校したのだ。
「ひかちゃん髪縛ったの?かわいい!」
 女子の友達や先生たちから褒めてもらえたのが思っていた以上にうれしかった。それまで髪型を決める時は、母や美容院のおばちゃんにされるがままだった私にとって、自分がしたいと思った髪型を褒められる喜びはものすごく新鮮な心地よさだった。
 そんな感じで調子に乗っていると、5時間目の音楽の授業の担当だった男性教師から衝撃的な一言を言われた。
「羽田さんのその髪はちょんまげですか?」
 かわいい女の子になろうとしていた私にとって、先生のその言葉はかなりの屈辱だった。
 自分の中では髪が延びてきたと言っても、母の言うようにそれは人から見たら縛れるぐらい長い髪ではなかった。しかしたとえそうだったとしても、あの時の私はとにかく髪を縛ってみたかったのだ。セーラームーンやセーラージュピターのように、もっとかわいい女の子になりたかっただけなのだ。

 それ以来髪を縛りたいとは思わなくなった。そしていつしか自分が女子であること自体憂鬱に思うようになってしまった。髪を伸ばすことはもちろん、おしゃれやメイクもめんどくさくなった。当然かわいい女の子になりたいとも今は全く思わない。
 でもそれで良いのだ。それが本当の自分なのだから。

 それにしても、また髪が延びてきた。早く美容院に行かなきゃなあ。

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