ポジハラについて考えてみた

 先日ヤフーニュースを読んでいたら、『ポジハラ』という言葉を知った。
 ポジハラ…。
 初めて聞く言葉だったが、たぶんポジティブハラスメントの略だろうということは、何となく分かった。
 やはりそれはポジティブハラスメントの略で、その記事によると、たとえば仕事で失敗してしまった時にかけられる、「また次にがんばればいいよ」という上司からの言葉や、子育てに悩む妻にかけられる、「お母さんになったんだから強くなれるよ」という夫からの言葉がポジハラに当たるそうだ。
 つまりネガティブな気持ちになっている時にかけられるポジティブな言葉がハラスメントになるというのだ。
 私は会社務めも子育ても経験したことはないが、先に上げた例を読んでも、「人の気も知らないで何だよ」と、確かにもやっとした嫌な気持ちになった。
 このもやっとした嫌な気持ちこそが、ポジティブハラスメント、略してポジハラなのだろう。
 そこでふと思い当たるのが、たとえば物書きをしている全盲の私に対してたまに向けられる言葉だ。
「目が見えないのに小説書いてるのー?」
「目が見えないのに詩集を出版してすごいねえ」
これらの言葉を投げかけられる度に、私はいつも何とも言えない複雑な気持ちに苛まれる。
 私はただ詩や小説やエッセイを書くことが好きだから書いているのだ。
 目が見えないから書いているわけではない。
 しかし1部の人たちからは、全盲の私がこうして文章を書いていることが、まるで特別なことのように思われているようなのだ。
 私にとって文章を書くことはごく普通のことなのに。
 目が見えない人は、詩集を出版しない方がいいのだろうか。
 目が見えない人は、小説賞に応募しない方がいいのだろうか。
 目が見えない人は、エッセイをネットに投稿しない方がいいのだろうか。
 苛立ちを覚える一方で、自分はやらなくてもいいこと、やってはいけないことをしているような気がして、何だか申し訳ない気持ちになる。
 もちろん相手はそんなつもりで言っているのではないということも分かっている。
 だけどそのような言葉を聞く度に、いつももやっとした嫌な気持ちになるのだった。
 きっとこれが私にとってのポジハラなのだろう。
 しかしそんなもやっとした嫌な気持ちをハラスメントにしてしまうのはちょっと違うような気がする。
 確かに嫌な気持ちにはなるけれど、それをハラスメントにしてしまうのは、言った側の相手がちょっとかわいそうではとも思うのだ。
 ちなみにこのポジハラは、前向きな歌詞の曲を聞いた時に覚えるネガティブな感情も該当するのだそうだ。
 ということは、そのうちミスチルやウルフルズ、さらには私が好きなpillowsやフラワーカンパニーズの曲も、場合によってはポジハラに認定されてしまうのだろうか。
 それはあまりにも悲しすぎる。
 ハラスメントっていったい何なのだろうか。
 改めて考えたくなる話だ。

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