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障害の受容パターンは偏見の温床となるか。個性と見られなさは?

障害者にしたら分かりやすくもなるか、ある属性が共通の困難を持つ時、その克服は文化的に継がれる解決法なら、属性に付随する特質と見られやすくもなるだろう。だが、困難の解決法はいくつもあり、その種類は、人の個性の数多ある。だが(数が少ない)マイノリティとして、多数派に目に入らない故の障害者の属性に帰着する。

いや、オカマ(と言うも悪いと思うが)、クレしんの映画のキャラは、その属性としての良さ/悪さを兼ねるか。たまたま個人が持った属性か。というのを気にしての以下のTweetをボート考えて


ベントさん曰く、0.1%の少数者は共感をえられる仲間もないか(ズ〜ン)。人を認識できる集団の大きさは200人が限界だか、1000人に1人の人にも会うだろうがその実パンダに会っても、パンダ「だから」の認識で?。パンダとしての困難の渋みの共通性は、人としてのバラエティを覆い隠すか。

て、その実、パンダは人に悲しい思いをさせられたゆえに好意的でもなかったりの、どちらが歩み寄りを始めるか。近くの貧民より遠くの不幸への寄付を思ったりする。殴られる覚悟をしての調整は嫌な思いで、良きが起こるかは未知です。ファーストコンタクトに失敗したリカバリーはひたすら山が高くなる。

ま、ベントさんの社会人おめでとうのブログ記事。運命に見初められたら腹を括るしかないが、なるべく見て見ぬふりで通り過ぎてくださいです。涙目!。

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