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KOJIKI<倭建命⑤>

出雲を平定した倭建命は、天皇の元へ報告に参上しました。天皇はすかさず

「次は、東国へ行って欲しい。あちらの方にも悪い神や、暴れん坊がいて服従しないものが多いんだ」と休むいとまもなく東征の命がくだりました。

東征とは、尾張の東から陸奥までを指すといわれています。

天皇は、吉備臣の先祖にあたる御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)をお供につけ、呪力があるとされる、王権の象徴である、柊の長い矛をさづけてくれました。

この時に労いの言葉は・・・あったのか、なかったのか・・・。これ、今で言うところの組織において、部下に労いの言葉をかけたかどうか。に近いものがあります。   

 天皇は、自分の息子でもあるということで、労いの言葉はかけていなかったのではないかと推測されいます。それは、東国に出兵する際に、伊勢神宮で天照大神に奉仕する叔母、倭姫命(ヤマトヒメ)の元に足を運んだ時のエピソードからも伺い知れます。

叔母、倭姫命に

「父上は、私がお嫌いなのでしょうか。西の方の悪者を成敗しヤマトに戻ってきてから、まだいくらも経っていないのに。今度は東方の悪者を討ち取れとの命令。父上は、私が死ねばいいと思っているのでしょうか」

 天皇である父に忠実な倭建命も、何か感じるところがあったようで苦しい胸のうちを打ち明けます。父を敬愛し、天皇として尊敬をしている、それゆえ、たくさんの賊を平定し、天皇に尽くしてきたにもかかわらず、父親からは「愛されてはいない」と感じたのでしょう。

 涙ながらに訴える倭建命に倭姫命は、哀れに思い、袋と刀を渡します。そして「もし緊急のことがあれば、この袋の口を解きなさい」と倭姫命はいました。

 手渡された刀は天叢雲剣(草薙剣)で、素戔嗚尊が、八岐大蛇を退治した時に、大蛇の尻尾から現れたという刀です。

スサノオ

 久しぶりに草場壽一先生のポストカードの素盞嗚尊を掲載しました。この剣が倭建命の手に渡ったのです。

 さて、天理市にある伊射奈岐(いざなぎ)神社は、崇神天皇の頃に創建されたという神社で祭神は伊射奈岐命(いざなぎのみこと)、伊射奈美命(いざなみのみこと)です。この神社はの社の奥は前方後円墳。この神社には、東征の前にヤマトを旅たつ際に、倭建命が妻(弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと))と主に戦勝祈願におとづれた、といういわれがあります。

 父と子の確執。戦国時代にはよくあるようですが、神様の時代にもあったのですね。。


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