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KOJIKI<響11>

天照大神と須佐之男命はそれぞれ互いの物実を
口に含みコリコリカリカリとかみだして
はく息とともにふうふうと言い出しました。
天照大神は十拳剣を三つに折り分けて
口の中に入れて(痛っ!)
さ噛みにかんでいぶきとともに「ふーーっ」とふくと

霧の中から
多紀里比売命(たきりひめのみこと)またの名を奥津島比売命
(田心姫神(たごりひめのかみ)
市寸島比売命またの名 狭依毘売命
多岐都比売命という 
今は宗像大社の祀る三柱の女神が現れました。
以前ご説明をした宗像大社です。
十拳剣から生まれたのですね。

こちらは宗像神社のHPから

沖の島は田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る
沖津宮が鎮座しています。

こちらはもおなじ宗像神社のHPから

多岐都比売命または湍津姫神(たぎつひめのかみ)をお祀りする中津宮

こちらも同じです。市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を主祭神とする辺津宮。福岡市と北九州市の間に位置する宗像市にあります。
玄界灘と諸外国との一番近い海の入り口にあるこの場所に三姫がいらっしゃることも意味深いことですね。

つづいて須佐之男命が天照大神の首にかけていた
八尺の勾玉を請い受け 口の中にカリカリコリコリと
噛みしだき息吹ととに「ふーーー」っと吹くと

霧の中から
正勝吾勝 勝速日天忍穗耳命(まさかつあかつかちはやあめのおしほみみのみこと)
天菩卑能命(あまのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひねのみこと)
活津日根命(いくつひねのみこと)
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
という五柱の男の神々が現れました。
こうして誓約により
三柱の女神が須佐之男命の物実から
五柱の男神が天照大神の物実からうまれました。

このとき、須佐之男命は
「おねえちゃーん
これで、僕が一点のやましさも無い事が証明されたよね。
僕がもっていた剣からこんなに愛くるしい女神がうまれたのですから僕の心が清らかで何も野心を持っていない事が
はっきりとわかったよね。だから、僕は勝ったんだよね!!!」
と須佐之男命は勝ちどきをあげました。

さて、折角なので、お生まれになった
愛くるしい宗像大社の姫君についてもう少しお話をしますね。
世界遺産にもなったこの姫君。

日本書紀では三姫は天孫降臨にあたり天照大神から
とても大切な言葉(神勅)を賜ります。
それは「汝三神、宜降居道中、奉助天孫而爲天孫所祭也」という
言葉。漢字だらけじゃん!!

訳すると「あなたたち宗像三女神は、天孫が降臨される道中の宗像の地にて、天孫を助けられ、天孫(皇室)の繁栄のために祭祀を行ってください」という意味なのです。
「奉助天孫而爲天孫所祭」の一文の書かれた額は、宗像大社の三宮それぞれの拝殿に掲げられていて、
今でも一日も欠かすことのない祈りが捧げられています。

さて、日本書紀では特にこの三姫を
「道主貴(みちぬしのむち)」とも表記をしています。
「貴」という言葉は最も貴い神様に贈られる尊称であり、
いわゆる記紀と言われている中でこの「貴」が使われているのは宗像大社の姫君たちと天照大神の別名である大日靈貴(おおひるむち)、の二神だけです。
宗像大社の姫君たちがいかに国家から篤い崇敬を受けていたか・・・悠久の年月を得て現代も変わらぬ崇敬を受けていることには畏敬の念を抱きます。

御子たちが増えてきた・・・この辺りから毎回挫折。

でも御子はまだまだ増えます・・・。

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