KOJIKI<船出③>

神日本磐余彦尊(神武天皇)は海路を通って東へ東へと船を進めて行きます。

ある日、大亀の背中に乗り、釣りをしながら体を揺すっている人に海上で会いました。古事記ではこの大亀の背中に乗っている人にあったのは、明石海峡あたりと言われています。

「汝はたれぞ?」と言ったのかどうかはわかりませんが、「大亀にのった変なやつだけど・・・。ちょっと、きみは何者なの?」

と神日本磐余彦尊(神武天皇)が尋ねると

「あ、私は国津神でだけど、この大亀は相棒。よろしくー」

「そんな大きな亀にのってるってことは・・・海乗り得意なの?」

「あ、まぁねー。この辺りはよく知っているしさ」

「だったらさー、悪いけど海案内してくれないかなー。日向からきているからよくわかんなくって。この辺」

「いいよー」

神日本磐余彦尊(神武天皇)は自分の船に向かい入れ、大亀にのって魚釣りをしていた国津神を操船の棹(さお)を意味する槁根津日子(さおねつひこ)の名をもらった。

神日本磐余彦尊(神武天皇)幸先良く、潮流を熟知する海の民を得て、大阪湾に入ったようです。さて、神日本磐余彦尊(神武天皇)は難波の碕という場所、今でいう大阪城側の上町台地のところに上陸したと言われています。

そして生島大神(いくしまのおおかみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)を祀ったというお話です。

大阪の方には「生玉(いくたま)さん」として有名な生国魂(いくくにたま)神社(大阪市天王寺区)をご存知でしょうか。この神社の起源は神日本磐余彦尊(神武天皇の難波の上陸だったのです。(だから菊の御紋の神社なのです。)この神社は豊臣秀吉の大坂城築城まで、海に近い上町台地の北端に鎮座していたそうです。

お話が少し変わりますが、今の生国魂(いくくにたま)神社には「鴫野神社」という淀君ゆかりの神社が境内に祀られているのをご存知でしょうか。


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縁切り、縁結びでも有名な神社です。

このお話だけでも、色々とかけますが・・・。

今日は、ここまで。



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