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幅 / パーソナルスペース

痛い、と思ったことは覚えている。
夜のトイレで、ぶつけた腕。

このあいだは、ソファーの角に足をつぶけた。
「いってぇ」と思ったり、つぶやいたあとには「しょーがないか」と忘れて
しばらく経つと、思い出す。
熟れすぎた果実みたいに、わたしの身体は定期的に黒くなる。

むかしっからそうだ。
もう、そういう人種なんだと思う。
朝が苦手、甘いものが苦手、お酒が苦手、とか
もう、そういう
自分の意志とは別の、いつからか背負っている設定のようなもので。

「ぶつけちゃったー」と、なぜかいちいち報告してしまう。
「ねえ、見て」と言ってしまう。なんでだろう。
他に見せる相手がいないからだろうか。
辞書の「痣」という項目に載せてもいいくらい、きちんと黒くなっていることにいつも感動してしまう。
だから、「見て」と言う。

返答は様々で、基本的には心配してくれる。
でも、心配されたってどうしようもない。
生まれた痣は自然治癒するしかないし、明日にはまたきっとぶつけている。
だから、返答はなんでもよかった。
冷たくされないのならば、なくてもよかった。
「見て」と言った時点で、視線がこっちに向けば満足なんだと思う。
言葉にすると、なんだか妙な感じだけど。

昨日の夜は、不思議だった。
不思議だなあ、と思って聞いていた。

「パーソナルスペースを大切にして」

その男は、酔っ払いながらそう言った。

パーソナルスペース
他人が侵入すると不快になる空間
または、他人の侵入を許せる空間。と書いてあった。
言葉って難しい。

難しいけど、痣ができたという人間に対しては、適切な返答ではないような気がしている。
でも、わたしは思い出している。

中学生のころ、吹奏楽部でクラリネットを吹いていた。
金管楽器のマウスピースは全滅で、唯一ちゃんと音が出たのがクラリネットだった。

同じクラリネット入部希望の麻衣ちゃんは、お母さんから譲ってもらった楽器を持っていたので、クラリネットパートへの加入はほとんど確定みたいなものだった。
「楽器を持っているかどうかで、好きなパートに入れるかどうか決まるなんておかしい」と、わたしは訴えた。

たぶん、こんな訴えなんかなくたって、母親はわたしにクラリネットを買ってくれただろう。
うちの中学は、フルートとクラの人は私物の楽器が多かった。

ヤマハの、赤い絨毯が敷かれた部屋でクランポンのクラリネットを買ってもらった。
当時も高価だと思っていたけれど、30歳を越えた今でも、あのクラリネットより高いものを持ったことはない。
歴代のシンセサイザーより、パソコンより、高価なクラリネットだった。

そしてそれを、よくぶつけていた。

そりゃあ、しばらくは撫でるように使っていたけれど、部活はほとんど毎日ある。
当時はその価格の価値もあんまり理解できていなかった。
楽器を持つということは、身体の範囲が自分の外側にも広がるーーーそんな感じだった。

免許を持っていないけれど、車を運転することに似ているような気がする。
自分の幅は変わらないのに、車の幅を意識・理解して運転する。

わたしも、そのようにすべきだった。
クラリネットを持った自分の「幅」のようなものを理解して、気をつけるべきだった。
でも、最後までできなかった。
たぶん、「気をつけるべき」だと思っていなかったんだと思う。

あれは、物の扱いがぞんざいだったのではなくて
わたしは、わたし自身のあつかいがへたくそだったのだ。

へたくそというか、「大切に扱うべき」だと思えていない。
というほうが正しい気がしている。

まず前提に「大切にすべき」っていうのがあって
大切にすべきだから、ぶつけないように自分の「幅」を理解して
そこからようやく気をつけて生活をしてゆく。
というのが筋というものだろう。

ここで落とされた「パーソナルスペース」という言葉の意味を考えている。

本来の意味とは異なるかもしれないけれど、
わたしはもっと自分を大切にして、傷つかないように気をつけて、
自分にとって良いものを取り込んで、嫌いなものを吐き出していってもいいのではないか。
そのために、自分の「幅」を理解して
好きとか嫌いとか、欲しいとか欲しくないとか、
もっと考えるべきではないだろうか。



毎日書くエッセイは「なにを書くか」考えることから始まる。
今日は、昨夜のみっつのメモから「パーソナルスペース」の物語を選んだ。

いつもは書きたいものや、書けそうなものを選ぶのだけれど
今日は、「書く」と決めてこの話題を選んだ。

まだ、右腕の痣はじんわりと傷んでいる。
動かすとにぶくしびれる。
でも、昨日より黒い色はずいぶんと薄くなっていた。

明日になって痛みが減ったら、わたしはこの痣のことを忘れるだろう。
そして双六の「最初に戻る」みたいに、ここまでの道のりを失う。
もちろんメモには残して、この感情をいつでも取り出して書ける準備はしているけれど

これはたぶん、しびれる右腕で書いたほうがいいだろう。と思った。
世の中には、そういうことがある気がしている。




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