好き→嬉しいは単純すぎたかな

以前、人やものに対して抱いた好意的な気持ちは、素直に伝えていった方が良いのではないか、という旨の記事を書いた。(「自分から好意を示していきたいな」という記事です。)

今も基本的にそうは思っているが、以前の私は、‘好意を伝えられて嫌な気持ちになる人はいないだろう‘と考えている節があった。

だが、当時よりアドレナリンが減ったのか何なのか、はたまたいくつかの小説に影響を受けたのか、考えが少し変化した。

今は、その人自身の性格や状況によっては、好意を伝えられてネガティブな気持ちになることはあり得るのではないだろうか、と思っている。

例えば、分かりやすく、恋愛的な好意を持ち出してみる。

誰かから告白された時、その人が自分自身に自信がなく、マイナス思考に陥りやすい性格だったとする。

すると、きっとその人は素直に‘嬉しい‘と感じることはないかもしれない。

・なんでこんな自分なんかを好きに?
・いや、そもそも好きっていうのは本当なのか?
・相手にどう答えるか考えなきゃ、面倒だ…

など、負の思考が連鎖していく可能性もある。

また、そもそも告白されて素直に嬉しいと感じられる状況というのが限られたものなのかもしれない。
それは、好きな人(素敵だと感じる人)から付き合うことが可能な状況で告白された場合、という幾つもの条件が合わさった時だけなのでは?ということだ。

既に恋人がいたり、あるいは恋愛や親密な人付き合いに関心が薄かったりした場合、
告白されても面倒ごとが増えると考え、ネガティブな感情を想起させるに過ぎないとも思う。

このように考えてみると、‘どんどん好意は伝えていくべし‘という以前の私の考えは、少し短絡的な前提に依っていたかもなぁーと感じるのだ。

いろんな考え方・感じ方や、その人が置かれた状況があるということは、必ずしも自分の思うように人は反応しないということなんだよな。

だからこそ人と関わるのは面白いとも言えるのかもしれないのだけど。

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今回は、考えに変化があったことについて書いてみた。
様々な影響を受けて、自分の考えが変わることって生きる醍醐味のひとつかも、と大仰なことを言って、終わりにします。