見出し画像

山野の思い出

今年、3年ぶりに山野ビッグバンドジャズコンテスト(YBBJC)が開催されました。

おりしもコロナの第七波が吹き荒れる中、関係各位のみなさま本当にいろいろな尽力大変だったと思います。お疲れ様でした。

そして、不透明な先行きの中、研鑽を積んでよい演奏を残した出演者の方々、本当に大変だったと思います。

なにしろビッグバンドは、集団の演奏。
15人〜20人が密集して演奏するわけですが、なおかつ吹奏楽に比べても欠員の許容範囲が狭い(同パートの重複がない)ため、もっともコロナには向いていない形態だと思います。一人欠けても演奏は成立しないのです。

ですから、出演にこぎつけるのも並々ならぬ注意を必要としただろうし(残念ながら出演できなかったバンドが複数あるのも無理はありません)、演奏の質を高めるための練習も、大変だったはずです。

本当に、苦境の中、みんな頑張って今があるんだと思う。

むかしばなし


私は1993年の神戸大学入学。
医学部ということもあり、ビッグバンドの活動は無理だと見切りをつけ、
コンボでの活動を志向した私ですが、大学二回生の時にはMussoc Jazz Orchestraに所属し、一度だけ山野にでております。

バブル崩壊後の就職氷河期前の頃でした。
今よりも牧歌的で、千駄ヶ谷にあった日本青年館で毎年行われていた頃。
シード制などもそんなにはっきりしていなかった時代でした。

マソック

神戸大学のMussoc Jazz Orchestraは Thad Jones and Mel Lewisのレパートリーを演奏するという特徴のあるビッグバンドで、私の居た前年、そして私の同期の最終学年には、入賞していました。
僕が居た年は端境期のような年で、特に賞に絡むような思い出は僕にはありませんが、同期の山野は応援の意味をこめて毎年観に行っておりましたし、高校時代の後輩も東京のビッグバンドで出場していたりもしたので、それも楽しみでした(サックスの矢追義隆君とドラムの山北弘一君)。

2022年、Mussoc、八位入賞ということで、本当におめでとうございます。


ビッグバンド時代の思い出は、折をみてまた書いてみようと思います。
たった一年だけでしたが、山野に出場したビッグバンドに在籍した一年間のはあまりにも楽しすぎる日々でした。
あれが、確かに自分のもっとも青春っぽい青春だったなと思う。

しかし楽しすぎたのか、2年の教養過程で留年してしまい、そしてその年の冬、阪神大震災がきたことなど、いろいろ重なり、私は、3年の秋から、一年遅れの医学部生活を再開することになります。
その後医学部生としての私は、ビッグバンドに埋没するのは危険であると認識し(笑)、単位をとってきちんと卒業する側の人間にジョブチェンジして、今にいたるわけです。

しかし、その当時の蹉跌が、ジャズに対して、特にビッグバンドについては、アンビバレンツな感情が今もあります。
まあその辺の不全感が、今もジャズを続けている原動力かもしれない。
ビッグバンドを「やり切った」人でジャズ卒業している人も多いじゃないですか。吹奏楽と同じで、完全燃焼したら、そこで燃え尽きてしまうんでしょうかね。

学生の心を掴んで離さない、山野。
学生の人生を狂わす(笑)山野。
誰の心にも特別な思い出が残る特別なイベントが今年再開されたことに対して、惜しみない賞賛を送りたいと思います。
来年も無事開催されればいいな。

そして山野に参加された若きジャズマンのみなさん。山野が終わっても人生は続きます。
思った以上にそこから先は長く、そして意外にあっという間です。悔いなく生きましょう。





よろしければサポートお願いいたします!サポート頂いたものについては公開して、使途はみんなで決めたいと思います。