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大谷翔平選手が一度ならず二度もMVPから外れた件

 大リーグの大谷翔平選手による百数年ぶりの偉業に日本のメディアが喧しいが、2021年に続いて2022年もMVP受賞が外れた件についてその根底にある問題とは?

1   ホンダの偉業がフォードと米国の執念により阻止された件

 1990年代にホンダ・アコードが当時セダンブームの先端を走っていたフォード・トーラスを抜いて販売台数が全米一なるか?という直前になって俄にトーラスの販売台数が一挙に増加してホンダの偉業は幻と化したことがあった.

 私は当時アメリカ東海岸バージニア州に居住しており、ワシントンポストに報道されるこの話を日本人として心ひそかに偉業達成とホンダの活躍を楽しみにしていた.

 結局フォード・トーラスが終盤になってあり得ない販売台数を計上してきてこの話は幻と化した。「やっぱりね」という落胆とアメリカの本音を見た気がした.自動車はアメリカ、それもフォード社が生み出した米国人のステータスシンボルでありその聖域に外国とりわけ日本に絶対に渡すわけにはいかないという執念にも似たアメリカの心を感じたことを思い出した.

2   大谷翔平選手の偉業を阻む要因

 大谷選手は、何故二度もビッグタイトルを逃したのか?
 二年連続して白人ではない有色人種(昨年はヒスパニック、今年はアフリカン・アメリカン)なのに何故イエロー(アジア系)ではないのか?

 それは米国の尊大さを表していると筆者は思うのだが、ヒスパニックやアフリカン・アメリカンには許しても同じ有色人種、それも日本人には絶対にそれを許さないとする米国の根底に流れるダークかついびつな考えが横たわっている気がする.

3  米国には譲りたくない「ステータス・シンボル」がある

 日本では「米国人は寛大」「米国は国際派」というマスコミ、ひいてはアクティブメジャーズにより造られた米国像が根強い.実はそれが単なる虚像であることは実際米国に住んでみたら本当によく理解できる場面に遭遇する.

 今回の大谷翔平選手の件、1990年代のホンダアコードの件に共通するのはいずれも「野球」「自動車」というアメリカ発祥でかつ米国人が世界に誇るステータスシンボルであって、それを外国人とりわけ日本人に汚されたくないという強烈かついびつなナショナリズムが根底に流れている気がするのは私だけだろうか? 

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