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僕らには今、「コミュニティ」が必要だと思う

最近、「コミュニティ」の必要性みたいなものを強く感じていて、その派生方法やら存続論やらをずっと考えている。

ちなみにここでいうところの「コミュニティ」は、「チーム」「トライブ」「メンバー」etc...どう言い換えていただいても結構なのだけれども、とにかく意志を持った集団という定義で話を進める。

各種インフルエンサーによるオンラインサロン集客合戦が熾烈を極めたのも今は昔。そもそもオンラインサロンやネット上のコミュニティの場合、知識やユーザー間の繋がりをGiveする主催者がいて、それをお金を払うことでTakeするユーザーがいるという構図であるからして、僕の思い描く「コミュニティ」とは根本からして全く別の集団だ。

つまるところ、僕が掲げる「コミュニティ」には、「コミュニケーションのクオリティの担保」という大きな目的がある。

コミュニケーションのクオリティ

「質の高いコミュニケーション」というのは、人生においてかなりエッセンシャルだと思っていて、それを能動的に獲得しようとした時、「コミュニティ」がソリューションとなる。

仮にあなたが大の音楽好きだとして、周りの友人が全員椎名林檎しか聴かないという状況を想定する。あなたがどんなに望んでも彼らとKendrick Lamarの話はできない。あなたの音楽に対する解釈はあくまで内省で留まり、深堀りはできても発展はない。(他ジャンルのカルチャーから得られる別角度の洞察はあるかもしれない)

僕の場合、知識や頭の良さが1レイヤー上の人との会話が消えた瞬間、自分の中から伸び代がぱったりと無くなるような感覚がある。いい人と話してると自分も上がって行く感覚があるし、そうでない人と話していると気分はいいかもしれないが停滞する。澱んでいってしまう。

だから、「質の高いコミュニケーション」を確保するために、今僕らは群れなければならない。

会社でもサークルでもサロンでもないコミュニケーションを、積極的に獲得しに行く。僕らは僕らの望むコミュニケーションを自分の手で実現する。

心理的安全性とチームの推進力

では、そうして出来た「コミュニティ」って、友達や同僚とは何が違うのだろうか。

先日こんなスライドを読んだ。

心理的安全性と、Veinの紹介

大変に興味深い内容で共感する部分も多分にあるのだが、ポイントは雑談が生まれないような心理的安全性の低いチームに、優れたアウトプットは残せないということだ。

自分以上の人との会話で知識・経験値が得られるコミュニティにおいては、会話は積極的に行われ、コミュニティ内の共通知領域は加速度的に広がっていく。それに伴い、雑談以上の会話が増え、行動に対するハードルが下がっていく。

このコミュニティ内ではコミュニケーションコストが一切発生しないし、心理的ハードルが高いであろう大胆なアクションもとりやすい。突発的に決まった旅行や、終電を飛ばすような遊び方の背景には、概ねそんな心理的要因があったように思う。

さらには、大胆なアクションが起こしやすいということは思考の柔軟性・拡張性にも影響する。何か面白いことを思いつくのは、決まって気心が知れた友人と話している時だ。

要するに、アクションにしたってアイディアにしたって、チームとしての推進力が段違いになる。

「質の高いコミュニケーション」を餌に、「推進力のあるコミュニティ」が形成される。僕個人の目的としてはあくまで前者で、後者は副産物に過ぎない。けれども、この理想の「コミュニティ」が実現した時、この副産物はきっと爆発的に新しいものを生み出すだろう。

別段、ビジネスを起こしたい訳でもクリエイティブな活動がしたい訳でもない僕だが、そこで自然発生したアイディアや活動がどれだけ面白いものになるのか、ということには大いに興味があるのだ。

コミュニティの在り処

じゃあこのコミュニティってどこに存在するのか。コミュニティが成立するためのプラットフォームについて考えてみる。

これについては、僕の中で結論が出ていて、それはフィジカルな接触機会に他ならない。

基本的に僕はリモートワークやらオンラインミーティングといった類のものに懐疑的だ。数多あるコミュニケーション手段の内、対面で顔を合わせる以上のものが存在しないと信じて疑わないからである。

最も情報量がリッチで、最も伝達ミスが少ない。やり取りする情報量とそのコストを加味した時、少なくとも僕の掲げるコミュニティの形成維持に最も有効なコミュニケーションは、対面だ。

知人にてぃーやまという人物がいる。彼は『リアルハウス』というスペースを仲間と運用していて、そこから『ポコラヂ』というインターネットラジオを配信している。彼自身コミュニティに関する思考をnoteで発信しているので、その辺は彼のnoteをご参照いただくとして、思うに、この『リアルハウス』のようなフィジカルなスペースこそ、コミュニティ運営維持の理想的なプラットフォームだ。

学生時代のサークルの溜まり場、友人が経営するスタンド、やたらと人が泊まりに来る友人宅、よく行く飲み屋とよく飲む仲間。僕の思う質の高いコミュニケーションや心理的安全性は、決まってそういう場所にあった。

インターネットやSNSが発達したこの時代において、大勢は孤独を加速させようとしている。きっとそれでも十二分に豊かな人生は実現するのだろうが、少なくとも僕はそれを最良だとは思わない。

質の高いコミュニケーションでもって、僕は僕の人生を加速させていく。そのために今、僕にはコミュニティが必要なのだ。

あなたのおかげで生活苦から抜け出せそうです