「夏夜の電話ボックス」


気付いた時には公衆電話のボックスの中で090から始まる番号を押していた。trururururu…trurururururu…。

 

スマートフォンどころか携帯電話すら持っていない僕にみんなは「お前変わってんな」とか「えぇー時代遅れー」とか言う。そんな”遅れてる”僕に彼女は「いいね、縋ってないね君は」と言って豪快にビールを飲み干し、泣きだすのかと思えば僕を見て思いっきり笑った。このむさ苦しく暑いお店の中で僕達に紛れて彼女一人だけ躊躇いもなくビールを頼んだ。そのキンキンに冷えたビールをおいしそうに飲む彼女だけが特別に見えた。他の子が飲む半透明で淡くカラフルなのよりも、フルーツなんかが乗ったお酒のくせしてやけに甘いのよりも、とにかくどんなものより爽やかでビールをミネラルウォーターに錯覚する。彼女だけ不純物が何一つ混ざってないような。ミニな似たり寄ったりなスカートの中に一人だけ白いTシャツにジーンズ姿の彼女だからか。こんなにも暑いのにさらりと黒くて長い髪が誰よりも艶やかだったからか。まあ、何だっていい、もう今更何を言い訳にしようともうごまかせない。水滴だらけになった汗だくのジョッキと彼女の唇が静かに離れてくその瞬間までを見届けた僕はもう完全に落ちてしまっていた。彼女の横顔は綺麗だった。

 

かけたって今更何を言うんだ。繋がらない。当たり前か。酔ってんのか。馬鹿か。帰ろう、何してんだ本当にさあ。さっきまではスマートフォンが普及しきったこの時代に今でも公衆電話が残ってんのは、あぁこの瞬間の僕のためだったのか、なんて本当にらしくないことを信じて疑わずこんなとこまで突っ走ってきた。さすがにもうこの暑さに耐えきれないからか、2回目をかける勇気は持ち合わせてないからか、何にせよ1回外の空気が吸いたい。狭いBoxから出てへたるようにそのまま地面に座り込む。冷たいアスファルトが自分の体温で一気に生温くなったのをズボン越しでも感じる。体に張り付いたTシャツが気持ち悪い。帰ったら冷たいシャワーを浴びて汗を流してついでに頭も冷やそう。ため息を吐く。よし帰ろう。顔をあげた。と、急に笑けてきた。僕はきっと今世界一気持ち悪くて意味が分からないやつだ。だめだ、こんな気持ちはやっぱり初めてだ。彼女がその時何を言ったかは憶えていない。でも目の前にいるのはよく冷えたビールが似合う白いTシャツ姿の天使だった。つられて笑う前のめりの彼女はさらりと長い髪を耳にかけた。やっぱり綺麗だった。

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