『西武沿線の不思議と謎』を読んで その3
皆さん、こんばんは。飯能高校探究部 顧問のMr.Mです。
以前、探究部員の妹紅がその昔実在した天覧山駅について記事を書いてくれました。そのことがきっかけで、西武線に関する書籍を調べています。
そんな中、飯能高校のすみっコ図書館で見つけた『西武沿線の不思議と謎』という本。
この本の中で飯能について書かれている部分を紹介してきました。
今回は飯能駅の「スイッチバック」、さらには飯能市で計画されていた「短絡線」についてです。
飯能駅のスイッチバック
まず、飯能駅のスイッチバックについてです。
飯能駅のホームまで来たことがある方はおわかりだと思いますが、飯能駅は列車が通り抜ける途中駅の構造ではなく、終端駅のように櫛型ホームとなっています。
そのような構造なので、例えば西武秩父駅まで行こうとすると向きを逆にして次の東飯能駅へと向かうことになります(特急ラビューに乗っているとこれを体感できます)。これがスイッチバックです。
そもそもなぜスイッチバックが取り入れられたのかがこの本では書かれていました。
やはり、路線の開通当時は飯能駅が終点だったことに由来しています。以下、本文より抜粋します。
ではなぜ池袋線を延長する必要が出てきたのかは「吾野」がキーワードとなります。
これを読まれている方の中にも、なぜ西武池袋線が池袋から吾野までなのか不思議に思った人もいるかもしれません。
秩父市に住んでいる方ならば、なぜ終電が吾野駅止まりなのか不思議に思ったことがある人も多いと思います。
理由がここにあります。
吾野の石灰石がそもそもの理由とは。歴史的背景を知ると納得です。
幻の短絡線
先ほど飯能駅のスイッチバックについて、また池袋線が延長されたのは吾野がキーだった事をお話ししました。
吾野から石灰石を運ぶ貨物列車の場合、列車の方向を変えるには機関車を付け替える必要がありました。そして、この付け替え作業は効率が悪かったが故に短絡線が昭和末期に計画されています。
以下、本文より抜粋します。
計画されていた短絡線の場所は池袋方面から飯能駅に入る手前の右側の右にカーブしていく空き地、ということでGoogle Mapsで調べてみました。
ここですね。上空写真では空き地になっていますが、カーブの形、そして東飯能駅へ向かっていることから間違いないと思います。
もしこの短絡線が早い段階で開通していたら飯能よりも東飯能駅を中心に街が発展したかもしれません。
歴史のタイミングというものは非常に興味深いです。現在ある状況がいかにしてつくられたのか知れば知るほどおもしろいですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?