大学生になって、初めて後輩と飲んだ。大学4年の夏。

 こんにちは。少し前のジャンプ作品が好きな1つ下の後輩がいて、前と言っても自分らの世代よりやや微妙に上、くらいなのに、それでも私の3個下には通じなかった。「BLEACHとかNARUTOとか、ちょっとだけ上じゃないですか?」という1つ下の後輩。「世代じゃないってわけじゃないけど、若干上だね。」肯定する私。「BLEACHはちょっとさすがに分かんないですね。」分かりかねる3つ下の後輩。ジェネギャまだ感じたくないです。

 はのとです。初めまして。


 大学4年生になって3か月過ぎそうです。大変だった実習も終わり、残すところは教員採用試験のみ。実習が終わったので軽い息抜きに、大好きな後輩たちと飲みに行くことになりました。

 私は軽音楽部に所属していて、昨年は副部長をしていました。その関係で後輩の中でも現幹部の子たちと仲がいいです。とは言え、副部長という立場を利用して色々な子に話しかけていたので、みんな仲いい中で、という嬉しい前提付きではありますが。

 実習行きたくないと後輩の前で駄々をこねる4年生に、ある後輩が言いました。「じゃあ、終わったら飲みに行きましょう。」「え、いいの?」「いいですよ。幹部3人とはのとさんで飲みますか?」「え、いいの!?」「じゃあ、それを楽しみに頑張ってください。」なんか角度おかしいな。後輩が先輩に言うことじゃねーな。でも可愛いからいいです。正しいし。

 彼らと飲むために、一生懸命実習耐えました。終わってすぐその後輩から連絡が来て、先日、ようやく飲んできました。


 3年生である彼らと出会ったのは、彼らが入学してきた2年前ではありません。彼らが2年生になった1年前です。誰も大学に行けなかったから。みんな孤独に家でオンライン授業を受けていたから。

 私は、自分が1年生の頃から後輩が入ってくるのを楽しみにしていました。ずっと後輩っこだったからです。先輩とはあまり上手いことやれないけど、後輩とはすごく仲良くなるタイプだったので、後輩ができるのをずっと楽しみにしていました。

 ところが、世間の状況が変わりました。確かに、大学に後輩はたくさん入ってきました。自分も2年生になりました。でも、部活には誰も入ってきませんでした。卒コンもできないままいなくなった元4年生が抜けて、元1,2,3年生だけの団体。しかも活動できないから、もはや形だけの存在。

 本来秋に行われるはずの代替わりもなぜか行われず、私たち2年生は幹部にならないまま、そして部活の状況を知らないまま3年生になりました。


 3年生になると、今度は急に幹部にされました。今まですべての情報を握って色々やっていたはずの1つ上の部長が、部の運営権を突然私たちに渡してきました。経験も知識も覚悟も決まらないまま、私たちは幹部の代になって、突然できた2年分の後輩をもてなす必要がありました。

 後輩が入ってくるのは楽しみでした。でも、それは自分が幹部として迎えるはずの後輩たちではありませんでした。2年生で役職もまだない、そんなフリーの状態で出会うべき後輩たちが半分。私は、幹部としての振る舞いが分かりません。ただの先輩としてではなく、幹部として、どう後輩に接するべきか、全く分かりませんでした。

 ただがむしゃらに、苦手なコミュニケーションに全神経を注いで後輩に話しかけました。2個下と1個下、誰がどの学年だか分からなかったけど、一気に部員が2倍になって覚える人数があほみたいに多かったけど、頑張りました。

 そのうち、同性の2個下の後輩たちとはすごく仲良くなりました。それから、1個下2個下それぞれ男の子1人ずつも仲良くなりました。だけど、ご飯に行ったり、ましてや飲みに行くことなんてできませんでした。それが部活をさせてもらう、大学側との約束だったから。悔しかった。せっかくできた後輩と、理想の先輩後輩ライフが送れなくて。


 秋になり、代替わりしました。私たちは1年しか経験してないで幹部になったけど、彼らはたった半年の経験値でいきなり幹部にされてしまいました。

 私は幹部としての自分が嫌いでした。同期の幹部も嫌いでした。同期は協力的ではなく、私だけがいつも一生懸命頑張っているように思えてしまうくらい、同期は私に仕事を丸投げでした。

 ただでさえ3年生、時間がない中部活に時間と労力を割いていると、まともな精神状態ではいられません。幹部として先導する最後のライブが終わった瞬間、私は大粒の涙を流し、嗚咽が止まりませんでした。どういう涙だったのか、今でもよく分からないけど、やりきった、という感じの涙だったのかもしれません。私頑張った。私偉い。誰も褒めてくれないから、自分で褒めるしかありませんでした。

 幹部の仕事って、部員の目に映るものなんて本当にごく一部だけなんです。実際は部員の目に入らないことの方が圧倒的に多くて、そして、そっちがとっても大変なの。無駄な力を使わないといけない気すらする。

 だから、そんなとっても辛い仕事を、まだ入ってきたばかりの後輩たちに放任することが心苦しくて、せめてできることはしようと、お節介にならない程度に頻繁に声を掛けていました。無理しないで、頑張らないで。これが私からの1番のメッセージでした。


 最後のライブが終わった帰り道、方向が同じでほとんど喋ったことなかった後輩に、突然「お疲れさまでした。」って言われました。私は普通に「お疲れ。ライブ楽しかった?」と返すと、「楽しかったです。はのとさんのおかげです。」と返され、拍子抜けしてしまいました。そんなこと言ってくれる後輩なんていなかったから。

 驚いて、「いやいや、みんなが頑張ってくれたからだよ。私は何もしてないよ。」と、なぜか超絶謙遜。すると今度彼はこう言いました。「いやいや、はのとさんが1番頑張ってたでしょ。」


 あやうく泣きそうになりました。私の頑張り、後輩に伝わってたんだ。そう思うと、本当に目頭が熱くなって。報われた気がしました。

 どうしてこんなに面倒で辛くて大変な仕事を頑張れたのか。それは、後輩の笑顔があったからです。私が一生懸命頑張って準備ライブで、後輩たちが楽しそうに演奏して聴いて、最後笑顔で帰ってくれる。それだけが、私のモチベでした。後輩の笑顔が見られるなら、また頑張ろう。いつしか、私はそんな風に思うようになっていました。

 そんな私のモチベである後輩から、そんな風な言葉を掛けてもらえるとは夢にも思っていなくて。本当に嬉しかったです。頑張って良かったって、心から思うようになりました。


 幹部を引退して、私は今まで以上に後輩が大好きになりました。たまに会うとニコニコ話しかけてくれたり、「はのとさんはのとさん」って近づいてきてくれたり。そういった小さな喜びが積み重なって後輩がさらに大好きになり、今では「後輩が好きすぎてやばい先輩」というレッテルが貼られてしまっています。まあいいでしょう。勲章です。

 だけど、後輩と飲みに行くことはありませんでした。飲みたかった。でも、勇気が出なかった。飲みやご飯の規制は緩和され、人数制限はあるものの、活動後のご飯などが解放され、規則的には可能になりました。でも、3年生は忙しいのです。普通に、普通に行けませんでした。終電早いし。


 長い長い前振りになりましたが、この夏、4年生になり、ようやく私は後輩を引き連れて飲みにいくことができたのです。念願叶いました。最高の気分でした。仲良し幹部3人組の中に私が混ざっていいという状況がまず嬉しいし、私を中心において話してくれたことも嬉しいし、ね。

 飲んで、後輩が笑顔になって、まあ寝てしまったあほな後輩もいますが、それはそれでいいです。いつか揺すりをかけるために使えそうな写真もたくさん撮れたことだし、いいです。もう、なんてったって、可愛いんですもん。私の後輩。20歳2人と浪人しているので年は同じというか誕生日の関係でむしろ年上の22歳1人。男3人に囲まれて、私が1番発していた言葉はたぶん、「君ら可愛いねほんと」という非常に面倒な言葉でした。

 でもいいんです。彼らは慣れています。私に可愛がられることに。「知ってます。俺可愛いんです。」なんて言っちゃうんだもん。可愛いね。


 まあ後輩可愛いトークはここまでにして、ちょっと感動的な展開もありました。どういう流れか忘れちゃったけど、君らは幹部として本当によく頑張ってくれてるよって話をして。酒飲んでそんな話すんなよって感じだけど。

 特に部長はね。人の上に立つようなタイプじゃないかったと思うの、彼は。でも、私が無理矢理部長に押し上げちゃって。申し訳なくて1番気に書けていたのは彼のことです。そんな話の流れから、こんなエモい話をしてしまったんですが、そうすると、部長は酒の勢いもあったのか泣いてしまいました。

 彼の涙を見たのは初めてでした。大好きな先輩が辞めたときも、2つ上の代が卒業したときも、彼は泣きませんでした。幹部としての仕事がすごく大変そうなときでも、泣きませんでした。そんな彼が、私の話を聞いてポロリと綺麗な涙を流したんです。


 「その涙はどういう涙?」私が聞くと、「嬉しいんです。はのとさんは本当にいい人です。ずっと俺のこと気に掛けてくれます。いつもライブの後にお疲れってラインくれて、本当に嬉しかったんです。」中学校の英語の教科書みたいな喋り方で、酔いの回った頭で、彼はそんなことを伝えてくれました。

 お節介かなと、思ってた。本当はちょっとびびってた。これ以上は踏み込まない方がいいかなと。毎回ライブのあとにラインすると、さすがにだるいかなと。でも、彼は真っすぐに受け取ってくれていたんです。嬉しかったな。私の1歩が、小さいながらにも誰かの役に立っていた。その事実がとっても嬉しかった。

 彼は、人前でネガティブなことを言わない子です。だから心配でした。「誰か聞いてくれる人はいるの?」と聞くと、「友だちが」と小さく返してくれました。部活に関係ない第三者の友だちかな。いい友だちだね。良かった。誰にも吐けていなかったらと思うとね。でも、誰かに少しでも話ができているならと、安心しました。


 こんなに真っすぐで綺麗な子が、私の後輩になってくれてよかった。部を継いでくれてよかった。彼のおかげで、彼ら幹部3人を始めとした現3年生たちのおかげで、今の部活があります。本当に、感謝してもしきれません。

 でも、普段なかなかこんな話する機会ないじゃないですか。別にお酒に限らず、閉鎖された空間で4人だけがそこにいて、他の誰にも話を聞かれない状況なんて、大学にいたら作れないんですよ。

 本当は、もっと早い段階でこういうことができていればよかった。社会の変化と、私の多忙と、学年の差。これらが相対的に作用して、実現がこんなにも遅くなってしまった。1年生の頃から、まだ酒の味も知らない1年生の頃から楽しみにしていた後輩との飲み、が、ようやく実現したというお話でした。


 最高の後輩に囲まれて幸せだった。彼らは私がいてくれてよかったと言ってくれているけど、私をいい先輩だと言ってくれるけど、そうじゃないのよ。君らがいい後輩なの。君らが、私をいい先輩にしてくれたの。だから、私がいい先輩に見えているのなら、それは君らのおかげだよ。


 そんなことを、いつか全員に伝えられたらいいな。卒業までの残り半年ちょっと。後悔しないようにね。


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