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ごめんねって言われたよ

18年前のこと
僕は中学生
1年生の時から、クラス中にいじめられていた
誰一人かばう人もなく、唯一話した”トモダチ”も「お前がかわいそうだから仕方なく」って感じだった

学校に行く前にお腹が痛くなった
母親は「学校に行きなさい」と言い続けた
当時幼馴染が毎日迎えに来て、行かざるを得なかった

学校に行くと、モノが壊れた
授業中、後ろからちぎられた消しゴムが飛んできた
挨拶しても誰も返してくれなかった
僕は6組で、2組の男の子と仲良くしていたが、それもからかわれた
卒業式の当日まで、僕はいじめられた

担任も、学年主任も、教頭も、養護教諭も、勇気を出して受けたカウンセラーも、もちろん教育委員会も、親もなにもしてくれなかった
中学校は本当に、本当に嫌だったんだ
だから、卒業前にクラスをパニックに陥れ、ひと騒動起こしてやったんだけどそれはいずれ


今日、母親と外食に行った。
運転は僕。
帰り道、今やってることや、これからやりたいことを話した。
その時に初めて「あのとき”学校に行かなくてもいいよ”という一言が欲しかった。実際に行かなくなるかどうかはわからないけど、その一言がほしかった」と言った。

母親は「じゃあ謝るよ。ごめんね」と言った。
そうじゃない。
母親は続けて「病気だけでもハンデなのに、学校にも行かなかくなったらこの子はダメになると思った。半分、行かなくなってもしょうがないかなと思った。中学で行かなくなったら〇〇高校にも行かれなくなって、ひきこもりになると。それはこの子のためにならないって思った。だから行かせたんだ」と言った。

今だったらそれは間違いだと僕はわかる。
特に当時は学校に行かないという選択肢はほとんどとれなかったし、情報も少なかったし、今のように居場所もなかった。親も選択肢がなかった。
だから、お母さんが悪いわけじゃない、そういう時代がいけなかった。だけど、今でも親の理解の問題で苦しんでいる子どもたちはいる。学校に行かなくても、僕らは生きられるんだ、と。生活を成り立たせられるんだと。
公務員を辞めても、僕は今生活ができてる。実家でだけど。
今働いていたり、活動していたりするのは、職場は全く関係ない。仕事関係なく動いたからだ。
だけど、公務員であって、ある程度安定した収入があって、福利厚生もしっかりしていた身分の時に、根治ができた。それは事実。
進学校から、地元の大学に入れたのは、内申点とか考えると中学校に行ってたからというのもあったと思う(当時は本当にそうかもしれない)

お母さんの「ごめんね」には、きれいな後悔が乗っていた。
自分の子育てが間違っていたのだ、と言われた気分だったのかもしれない。
だけど、そうではない。そうではないのだ。
家族への支援体制が、まったくなかったんだ。
「学校に行かなければこの子はダメになる」これを解いてくれる人が誰も、母親の周りにいなかったんだ。

謝罪の言葉から、母親は何も話さなかった。

僕はまだーーーhanpoも進んでいないのかもしれない。

さらみ

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