見出し画像

カンバセーション…対話…

今日もジムの話です。
いまだに金を払って変な施設で運動していることに罪悪感がある。Nikeのスウェットを着てiPhoneにBluetoothで繋いだイヤホンでNirvanaを聴きながらマシンで走っていると、コバーンさんごめんなさい……という気分になる。まあそれも最初の10分間くらいで、だんだん走ることに集中してくるんだけど。

最近、自分の走り方が変だったということにやっと気がついた。運動しているところをよく人に笑われるくらいの運動音痴です。徳永英明の『輝きながら・・・』という曲のPVで徳永がボールを投げたり砂丘の斜面を走り下りたりするカットがあるんだけど、あんな感じでいかにも運動苦手そうだな、というぎこちない動きです。

ジムで実際に走りながら意識を向けてみると、全部の足の指をギュッと曲げて、ヘッダー画像の「種子骨」の部分だけで地面を蹴っていた。纏足の人がつま先だけで走っているような感じといえばいいのか、これじゃ長時間走ることがきついわけだと実感した。

じゃあどんな走り方がいいんだろうと考えて、具体的にイメージしてみる。
踵(かかと)から着地して、足の裏全体で体重を移動させながら最後に親指で地面を蹴る、ということをやってみたら嘘みたいに楽に走れた。あと肘を後ろに引くことを意識すると、背筋が伸び、一歩に反動がついて次の足が前に出やすく、これも走りやすくなった。

なんで今まで誰も、教えてくれなかったのよ……と思う。いや本当はあまり思わない。中年になって「正しい走り方分かったかも!」となってるのは面白いので。そんな感じで、30分走ることがそこまで苦じゃなくなりました。自分の肉体との対話だ。たぶん外を走っていたら、この認識に至るのは無理だったと思う。目に入るものが多すぎるし、人の目も気にしてしまって「走ること」自体にフォーカスできなかっただろうから。お金を払って、変な施設の変な機械で運動した甲斐があった。まあでもこれが「正しい走り方」という保証はない。めちゃくちゃ勘違いしてて、ものすごく、より変な走り方に変わっただけという可能性もある。

走るのもそうだけど、筋トレも肉体との対話だなと思う。寄生獣の終わりの方で、ミギーが内なる探求に出かけていくじゃないですか。あれは、筋トレのすごくレベルが高い版なんだと仮定してみる。自意識の奥にあるイド、精神の原野みたいなものとの対話、と考えるとエキサイティングだ。そこには意識の表面には登ってこない原油のようなどろどろとした何かがあり、個人や人間という種、みたいな枠を超えた生命のあり方そのものを学べそうである。

みたいなことを考えながら運動をしているとわりと楽しいんだけど、いま冷静に振り返るとあんまり面白くないな……走ったり筋トレしている間はそういうアドレナリン的なものが出ているからだと思う。

余談だけど、先に挙げた徳永英明の『輝きながら・・・』のPVは、徳永が下半身を海に浸かった状態で歌っているところから始まり、全体的に内容というか演出がけっこう(ダサすぎるという意味合いで)面白い。なんで洋服着て海に浸かっとるん?と思っていたら、山下達郎も浸かっていた。誰が最初に始めたんだ、こんなこと。

RIDE ON TIME(EP盤)

LP盤では、同じポーズでシチュエーションが変わり、恐山みたいな場所でこちらを指差していて怖すぎる。

RIDE ON TIME(LP盤)

ちなみにRIDE ON TIMEの歴史についてはこちらのページが詳しいです。

2時間みっちり運動するのは楽しいし、健康にもいい。考え事をするのにも向いている。でも釈然としない部分は残る。コバーンさんごめんなさい、というのもそうだし、資本主義に馴染みすぎているという部分で村上春樹さんごめんなさいでもある。あと俺はアメリカの14歳なので、トニー・スタークが死んだこともまだつらくて、今もちょっと引きずっているんよね。

今日のタイトルはコッポラの名作『カンバセーション…盗聴…』からです。俺は観たことないけど、面白いらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?