人と場所と… ②

 私の読み聞かせの声が好きだと言ってくれた子がいた。
 読み聞かせの仕方が面白いとか、上手いとか、こんなに早口で咬み咬みなのに褒めてくれる子や先生は、今までも何人かいて恐縮しきりだったが、子どもから「声が好き」だと言われたのは初めてだった。前職のママさんを思い出したのはそんなきっかけからだ。
 話し方や癖のせいで、声はコンプレックスでしかなかった。録音した自分の声に幻滅し、母に「録音した声と自分が聞いてる自分の声、違うんやけど…」と話すと、録音した声があんたの声やと言われて更に落ち込んだ。
 我が家では、母と私、そして妹の電話の声が、他人には皆同じに聞こえるらしい。ということは、母や妹と、私の声は似ているということなのだろうが、私が母や妹の声を嫌だと思ったことはない。同じ声だとも思わないし、似ていると思ったこともないが、録音した自分の声だけにとてつもなく嫌悪を感じるのは、結局、声というより、話し方や癖のせいなのかも知れなかった。母も妹も、滑舌が悪いわけではないし、早口でもない。
 嘗て別の就職面接を受ける際、事前に同僚から言われたことがあった。
「あんたは早口やから、ゆっくり、落ち着いて話さなあかんで?頑張って!」
 早口は他の人からもよく言われることだったが、それを欠点として心配し、事前に注意喚起してくれる人は今までいなかった。面接で落ちたことも通ったこともあったが、落ちた理由が早口だからだと考えたこともなかった。原因になっていたかも知れないし、何の関係もなかったかも知れないが、職場内で同じ職種を希望した二人の内、一人しか受からない試験だったこともあり、両者を知る同僚が助言を含めた激励を与えてくれたことが何より有り難かった。結局、恩に報いることが出来ず、私はその面接に落ちたのだったが…。
 
 ある子が言った。
「ここ、なんか落ち着くわ~」
 その言葉、前にも聞いたことがある気がする。そういや、何回か言われたのだった。この学校だけでなく、前任校でも…。大人数ではないが、何人かの子どもがふとした拍子に呟いて行く。休み時間の、決して図書室、図書館としては似つかわしくない賑わいの中で…。因みに司書も、癒し系には程遠い。しかし私も、同じことをしょっちゅう心の中で思うので嬉しくなる。
 図書室=落ち着く場所。
 本来そういうものかも知れないが、実際、そういう場所に整えるまで、物凄い苦労があった。納得する形に整えて、維持できるよう利用教育を施し、それでも足りないところを継続して補って行くためには、日々の努力が必要になって来る。
 他所の学校の図書室を見ると、展示や案内表示に凝っていたり、季節の飾りつけなどもまめに取り換えていたりする。私は必要最低限。時間があり、要領さえ良ければ、もっと色々出来るのかも知れないが、専任になってもあっぷあっぷ。高々四年では、一年間のスケジュールを段取り立てて熟すことに慣れるだけで精一杯だった。十年前後、もしくはそれ以上この仕事をしている人達は、もっと涼しい顔で仕事を熟しているように見える。一人職なので、それぞれ自分の段取りで仕事を進めているのであるが、積極的に研修に出向き、現場以外での仕事や勉強にも精力的に取り組んでいるのを知ると、自分がいかに若輩であるか身につまされる。
 しかし出来る以上のことに手を出せば、目先のことさえ狂い始める。それは自分でよくわかっているので、手を出さないようにしているのだ。
 殺風景で、年間を通して何かが大きく変わることは滅多に無い。
 宣伝用のPOPは、クラブや委員会で児童が作った物を飾る。司書はそれらを活かす作業をするだけで、自ら作ることはない。
 夏場は絨毯に沁みついた子ども達の足の臭いがきつくなる。入室した途端、異臭を感じるが、一日そこで過ごせば鼻が麻痺して気にならなくなる。年に一度、業者が絨毯の清掃に来るが、今年は来なかった。来たところで何処がどう綺麗になったのかわからないし、臭いも変わらないので、果たして何の効果があるのか怪しい。気持ちの問題だろうか…。
 結局、落ち着く場所を作っているのは人ではなく、〝本〟という存在そのものである可能性もある。多分それが真実だ。
 基本的に、学校司書は、仕事として何をしているのかわからないと思われている。先生方は言葉に出さないが、恐らく心の中で思っている。子どもは直接言って来る。
「先生、授業ない時、いつも何してるん?」
「先生、それ(カウンター業務やブッカー処理)、面白い?」
「何やってるん?ネットサーフィン?」
 対人でない場合以外はすべて見えない努力と言っても過言では無い。そう思っているが、イメージ通り、のんびりゆったり特に仕事もなく過ごしている学校司書が、いないわけではないのだろう。世の中は狭いが、実はとても広い。学校司書人口は限られていて、薄給で生活に差し障るような専門職だとはいえ、なり手がないわけではなく、狭き門だとも言われる。
 ある他市の学校では、図書司書は居てもカウンター業務だけで、授業内では何も行わないのだと聞いた。そういう仕事のやり方なら、のんびりゆったりも実現するだろうし、薄給でも文句なく胸を張って働けるかも知れない。例えば、生活に関わる収入の主体が別のところにある立場であれば、ジレンマに苦しむことなく、この仕事はそういうものだと受け止めて続けられるのかも知れない。
 高々4年だが、職業病なのか、本屋に行くと、ついつい子どもが喜びそうな本を探してしまう。結構私、司書として悪くないと思うんだけど…などと、ちょっぴり自分を肯定してみながら、学校図書館司書ならみんなそうかな?とも思うが、こういう話を他の司書とあまりしていないことに気付いた。

 

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