素敵体験、ら・ら・ら

 現在専任している大規模校は、クラス数が多いせいか、高学年に図書の時間が設定されていない。依って、余程のことがない限り、授業で学校図書館を使ってもらう機会がないのだが、この11月は、6年生のあるクラスが2度も、授業を希望してくれた。
 11月は読書月間で、準備やイベントで年間一・二を争うほど忙しい。空き時間が減るのは痛手とも言えるが、学校図書館は使ってもらってなんぼ。そもそも、読書月間であることを意識してのことかも知れず、また、6年生は修学旅行の時期とも重なり、通常より忙しいのはお互い様なのだ。担任の努力が垣間見える粋な計らいと捉え、快諾した。
 読書月間ならではのイベントプランを提案したところ、担任の先生も乗ってくださり、大方一人読みの45分間で終わりがちな高学年の図書が、〝いつもと違う〟時間になった。がっつり読みたかった子は歯ぎしりしたかもしれないが、見た限りそのような児童はいない。反抗期かと思えるようなうんちくを垂れる者や、いちいち突っかかってくる奴はいたが、授業が嫌で飛び出して行くような類のものでは無かったので、〝あぁ言えばこぅ言う〟の姿勢で応戦した。
「授業中にもやっていいよ」という、ちょっとした工夫を用意していた。分類教育と、選書の視野を広げるために考えた遊び半分のものだったが、目ざとい4年生から徐々に低学年へと流行し、なかなか収束しない。久しぶりに図書室へやって来た6年生も例外ではないらしく、すぐに飛びついていた。
 翌日、職員室の机上に一枚の書類が置かれていた。見ると、児童が書いた日記のコピー。久しぶりの図書がいつもと違って楽しかったことや、初めて目にする工夫にワクワクしたことなどが綴られていた。それに対し、担任の先生が「また図書の時間、とれるようにするね」という愛のあるコメントを寄せている。一瞬で心にお花畑が広がった。
 日記に書いてくれた6年生、それをコピーして渡してくれる担任の先生、どちらもが司書の励みになる。本来なら私が知るべきことではなかったのだから、尚更だ。
 そういえばこの先生、以前、1年生を担任されていたときにも、児童の〝声〟のコピーをくださったのだ。
【がっこうでたのしかったこと、うれしかったことはなんですか?】
その問いに、図書の時間のあれこれを挙げていた児童が複数名いた。
 習いたての子どもらしい字で、丁寧に書かれたそれを見た時、学校の図書館で、司書として存在出来ていることが本当に幸せだと感じた。そして、本来ならスルーしてしまえば終わってしまうものを、わざわざ忙しい合間を縫って相手に伝えようとしてくれる先生の懐具合に感動したのだった。
 私よりうーんと若い彼女のような先生から、学ぶことは多い。私はそのような細やかさや、相手への深い感情を持って生きて居られているだろうか…。
 私も子どものときに、彼女のような先生に出会えていれば、〝先生〟という人への気持ちも、少し違ったのではないかと思っている。

 

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