4月28日

 明日から我が家唯一の労働者もGWに入るということで、現在家事手伝いの私も色々と緩む。
 早目に行って早めに帰る…を目標に出掛けたのに、帰ろうとする度、誰かがやって来る。結局畑に6時間も滞在し、昼食が3時半になった。キヌサヤをもらい、大根の漬物をもらい、愚痴を聞いてもらった。関わる人皆、親世代という現状を有り難いと思いつつ、苦笑する。しかし草もよく燃え、水遣りもしっかり、草取りのノルマも達成できたので満足。
 
 今日の犬は、少し偏食がマシ。散歩もよく歩き、割と元気で少しホッとする。階段降りが少々心配で、大分躊躇った挙句、躓いて落ちそうに…。まだまだ油断ならない。
 一方、妹の病が再発した模様。振り回されてうんざりするが、未読スルーが故意なのか判断が付かないだけに、不安を煽られる。その時点で振り回されているだけなのかも知れないが…。
 
 緊急事態宣言で図書館が閉鎖する直前、他市で慌ててゲットした20冊が、そろそろ半分になる。ずっと気になっていた益田ミリさんの作品が9割。これを機に網羅するつもりで読み漁っているが、きっかけとなった新聞のコラムと、印象が随分違っている。特に、彼女が30代の時に書いた本は、まるで共感出来ず、少しがっかりしていた。
 しかし本が繋ぐ縁をまたもや実感することに…。たまたま手にした本の中に、その時の悩みを解すヒントが隠れており、言葉に救われる経験は過去に何度もしているが、何度繰り返しても驚かされる。
 
 よく、チャンスの神様は前髪しかなくて、走り過ぎたときにつかもうとすると後ろ髪がないからつかまえられない、って言うけれど、わたしは、ずっとそうじゃないと思って生きてきた。
 一回の大きなチャンスなんて、実は、そう大したものじゃないって思う。そんな派手で大きなチャンスよりも、目の前にやってきた仕事を「やる?」「やらない?」って判断しながら、コツコツ進んでいくほうが大事なのではないか。
 わたしにも、つかみ損ねたチャンスがあったのかもしれない。
 だけど、一度や二度のチャンスくらい、人生全体の中ではそんなに重要ではない気がするのだ。
(「心がほどける小さな旅」より)
 
 ずっと自信がなくて、新しいチャンスも無い中で、去年出来なかった決断を、ずっと心の中で悔いていた私が、一番欲していた言葉。8年も前に書かれた本の中に在り、こんな機会がなければ出会えなかった。それだけで、奇跡は起きると信じられる気がする。
 これから私が何になり、どう生きるのかはまだわからない。それでも希望だけは捨てずにいたい。
 そういえば今日、畑で水を撒きながら見た虹は、二重に架かっていたな…。
 ばあちゃんが起こした奇跡に思いを馳せる。西の窓に吊るしたサンキャッチャーが投影する虹色にも…。
 昨日見た〝悪口〟に対し、その後他の誰も反応しなかったこと…。それだけ見ても、必ずしも悪い事ばかりが身の周りに起きているわけではないと感じられる。私は私の出来ることを精一杯やったし、絶望は確かにあったけれど、誇りも喜びも得て、一歩踏み出したのだ。背中を押してくれる誰かに感謝しながら、不安定でありながらも、ちゃんと前を見ていようと思う。

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