それぞれの春 ②

 相互貸出業務の一貫で、市立図書館を訪れた午後、カウンターで思いがけない人の姿を目にした。前年度、一年間だけ同市他校の学校司書として勤務し、契約満了を告げられて退職したその人だ。五年満期の契約終了を待たずに二年で退職者が出たため、代わりに採用されたのが彼女だったのだが、代わりなので契約は三年あるのだと誰もが思っていた。
 その年は異動の可能性が示唆されていたため、どの司書も落ち着きがなかった。
 学校図書館司書は、各校の学校図書館をそれぞれ一人で管理している。図書室ごと異動出来るなら、ある程度仕事は楽かも知れないが、そんな魔法を使える司書は一人も居ない。書架ひとつとっても、それぞれの癖というものが反映されるそれを、異動が伴えば一から見直さなければならないのは、自身が赴任する以前、三ヶ月で司書が三人変わり、乱雑さを極めて手の施しようがなくなったそれを、八ヶ月間半泣きになりながら使い物になるよう整えた経験から身に沁みていた。
 あれをまたやるのかと思うと気が遠くなる。
 いつからか整理整頓は、自身の生活の中でストレス解消の一端を担うようになったほど好きな作業として昇華していたが、毎日自分以外の何百という人の手で妄りに乱されていくものを元に戻す作業は、ストレスの解消どころか増大を生んでいた。
 半分泣きつくような形で児童への利用教育を徹底したお陰で、効果はそれなりに表れるようになったが、異動となると、対する児童も変わるのだ。たった二年や三年で司書を異動させる事のメリットを、感じているのが一体誰なのかまるで理解が出来なかったが、その人は司書や学校図書館の役割に理解がないばかりか、無知にもほどがある。
 施設管理という職務内容の観点から、異動がある場合は極力早めに通達していただくよう、市教委の担当主事にお願いしていた。他業種を含め、実際に内示が下るのは三月の修了式辺りが通例。しかし全員が二校を兼任しているため、勤務日が振り分けられており、引継ぎ作業を行うにも日程調整が容易ではない。通例に従われると、業務に差し障るのは目に見えていた。
 異動通告の前に、Kさんの退職が本人から司書全体に伝えられたのは想定外であった。司書間に動揺が走る。突然のことに、最も経験の浅い私は、次は我が身かと身構えた。急に解雇通告など、考えも及ばなかったからだ。5年で満了に至るはずの雇用契約とは、こんな安易に覆されるものなのかと脅威する。
 後日、Kさんが、実は採用の時点で雇用契約が一年だったのだと言った。しかし翌年改めて採用試験に合格すれば、任期は継続される予定だったのだそうだ。人員削減が決まり、新年度に再び採用試験を行う予定が立ち消えになったことから、彼女の勤務は【契約満了】として処理されることになったのであった。
 他の司書がKさんの退職を嘆く一方、彼女の退職により空いた穴をどう埋めるのかという市教委への動向に関心が向かうまではあっという間だった。人員削減が理由になっている以上、新たに誰かが雇用されるわけではないのであろう。Kさんを含め、現在、司書十名で市内の小中学校計二十校をそれぞれ二校ずつ兼任している現状を思えば、九名になると三校を兼任する者が出て来る計算になる。どんなことになるのか想像もつかなかった。
 次年度の三校兼任を前提として開かれた臨時の会議で、司書たちが出した【より業務負担の少ない方法】が、巧く作用したかどうかはわからない。担当指導主事は全ての意見を取りまとめ、市教育委員会内での会議を経て決定を定めた。結果、授業負担の大きい大規模小学校の二校が専任に、中規模小学校と大規模中学校の兼任が三名、小規模の小学校二校と中学校の三校兼任が四名と、かなり意外な決着となった。
 Kさんは、他市の学校図書館司書として、転職が決まった。元々随分遠くから通勤しており、新天地はご自宅寄りだと分かったので、良かったのではないかと喜んだのも束の間、夏休みや冬休み中は勤務がなく、その間、健康保険なども一旦切れるのだと知り、窮状に絶句した。それを承知で就業を決めたということは、それなりに理由があったからだろう。詳しく聞こうと思わなかったのは、それぞれの事情は、本当にそれぞれで、他者が立ち入るべき領域の範疇を越えるものではないからだ。言いたければきっと自ら言うだろうし、こちらが知りたいと思っても、高々一年、せいぜい月に一度、会議で会うか会わないかの相手に対して、何を訊き、何が言えただろうと思う。
 Kさんは、有給休暇を消化して帰る予定だった新年度準備の出張日後半を、突如勤務に切り替え、お別れの儀式を予定していた他の司書たちを慌てさせた後、僅かばかりの餞別を受け取って、笑顔で去って行った。
 そのKさんが市立図書館のカウンターに居る。不慣れで戸惑っている様子を見ると、この4月に赴任したところなのだろう。ご親切に雇用形態までばっちり表示されている名札の中身は、私の眼先からは遠すぎて氏名しか確認できなかったが、Kさんその人であることを知るには充分だった。
 眼鏡にマスクで人相が怪しかったかも知れないが、Kさんも私を知った人だと気付いたように見えた。挨拶をすべきだろうか…と考えているうちに自身の手続きが終わり、先程のカウンターへ目を向けると、彼女の姿は既になくなっていた。トイレに行ったぐらいならすぐ戻るかも知れない。少し待ってみたが、早々に諦める。自分だったらどう感じるだろうと考えた結果だった。

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