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【エッセイ】正解のようなもの

対話型AI「チャットGPT」についてその仕組み、その見解を毎日のように耳にするようになりました。高度な言語処理力も注目されていますね。
諸外国ではもう過去の話題?になりつつあるようですが
使用することで多くの分野のさらなる可能性が期待されます。

そしてそれは便利だけれど
まだ開発の途上であるため誤答もある、
例えば小説などの創作物生成ではAIが言語学習に使用したモデルへの著作権の扱いがあいまい、
などのデメリットもあるんですね。

当面、使用する際は様々なことを想定してトラブルを防ぐ策を講じる必要がありそうです。


かつて観た映画「めぐり逢えたら」(1993年)の中で
主人公サムの8才の息子ジョナがひとりで飛行機に乗るというシーンがありました。
ジョナの航空券を彼と年齢の近いガールフレンドがコンピュータで予約してくれるのですが
その際ガールフレンドはコンピュータにジョナの年齢を「12才」と入力します。
でもどう見てもまだ幼いジョナは12才には見えません。ジョナ自身もガールフレンドにそう言いますが彼女は
『背が低いのを気にしている』と言えばいい、
航空会社の係員はコンピュータにある年齢を信じる、
と言い切ります。
するとその通り、スタッフに訝しがられながらも8才のジョナは12才として飛行機に乗りシアトルからニューヨークへ向かう…というシーンが描かれていました。

ひとはコンピュータ上の情報を信じる(疑わない)
という人間の心理を幼い子どもに言わせるという脚本が面白いと思いましたね〜。

AIが「誤り」あるいは「正しくはない」ものを学習して
「正解のようなもの」として人々の問いに答えたとき
「正解のようなもの」を正しいと信じる人が多くなればなるほどいつしかそれは「正解」となるのでしょうか。

そしてAIが私たちのように
失敗を経験しながら成長してゆくのだとしても
学習するスピードはもう誰にも止められません。
いや、ビジネス使用となればさらに成長スピードは増すと思いますが
もしも成長過程に問題が生じたときに、確実にそれを止めることができる(止める権利がある)ひとは誰なのでしょう。

これからきっと私も最先端のAI技術を使うことで
効率よく暮らせる日々が来るのだろうけれど
疑問への答えへたどり着くまでに見える道のりの景色、
たとえば創作ならばオリジナルのモノが生まれるまでの苦しみや完成したときの喜びを
効率よく手放すことになるかもしれないと思うと

今ある人生がまた違うものに見えてきます。


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