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日本語で言うと、どこか空々しく聞こえてしまう「寄付」だけれど.....

少し前にアマゾンから「お買い物で寄付支援プログラム」という案内メールが来ました。これはAmazonアシスタントをつかって買い物をすると、支援を必要としている登録団体に、自動的に購入金額の0.5%分が寄付されるというもの。

なるほどね、これはいいかも、と思いました。そこでどこに寄付金が行くのか見てみました。現在、三つの支援団体が登録されています。
1.一般社団法人END ALS(エンド・エー・エル・エス):ALS(筋萎縮性側索硬化症)の認知・理解促進と治療法の確立のための研究等の支援をする一般社団法人。
2.公益社団法人アニマル・ドネーション:動物のための活動を行う団体を支援する動物専門寄付サイト「アニドネ」を運営。
3.公益財団法人日本YMCA同盟:子ども、青少年の健全な成長を願い、地域や人々のニーズに合わせて、体験や 学びの機会を全国で提供。

この中で「アニドネ」というのは初めて聞くものでした。どういう活動、団体なのか、詳細をサイトに見にいきました。日本初の動物専門寄付サイトとのことで、説明のところに「動物福祉」という言葉がつかわれていました。動物福祉という言葉は、日本でも最近はだいぶ見かけるようになりましたが、まだそこまで定着していない言葉です。この言葉をつかっている、というだけで、その思想が見えてくるような言葉と言ってもいいと思います。それでこれは、と思って活動の中身を見ていくと、動物保護活動をしている団体と、寄付をしたい人をつなぐ機関のようでした。

こういう団体が登録されているのであれば、アシスタントをつかってアマゾンで買い物するのも悪くないという気分になります。さらに詳しく見ていくと、四つの活動分野として、動物の「保護」「介在」「伴侶」「啓蒙」に関する団体への寄付をうたっていました。この中で一番力を入れている(あるいは活動団体が多い)のは、保護団体のようでした。飼い主の放棄などによって行き場をなくした犬を収容し、里親を探したりする機関です。

ペット文化が活発な日本で、身近で現実的にかかえている問題となれば、動物福祉の中で、ペットに関することが一番にくるのは理解できます。AllAboutのアニドネについての記事(2012年4月)では、「ペットに特化したオンライン寄付サイトが登場」のようなタイトルがつけられていました。現在のサイトのトップページには「これまでの寄付総額 ¥236,575,387」とありました。ペットの問題に関心をもち、理解を示す人々が一定数いるということでしょう。

なるほどと感じましたし、たしかに犬や猫の殺処分の多さは社会的に大きな問題であるとも思います。ただ「動物福祉」という言葉を掲げている場合、人間と動物の関係性において、それ以外の課題にも期待がいきます。たとえば家畜動物の環境改善とか、実験動物や展示動物の扱いといった、人間の利益のために使用されている動物たちの抱える問題についても取り上げてほしい。ペット以外の問題も、ペットと同じくらい、あるいはそれ以上にすべての人間と関わりの深いこと。ただ日本では、ペットほどには関心をもたれていないのも事実なので、「できることから」「身近でよくわかっていることから」「介入のしやすいことから」という意味で、アニドネの活動の方向性は理解できます。

ただ、、、最初の期待が大きかっただけに、寄付への意欲は少し萎みました。もし野生動物も含めた、もっと広範囲の人間と動物のあり方に、真摯で的確な視点が示されていたら、賛同の意ははるかに大きく膨らんだと思います。

そもそも寄付ということを考えると、どういうときに「寄付したくなる」のか、どんな誘いかけであれば実際に「寄付を実行するのか」。いや、そもそも寄付はしないし、したこともない、という人もいると思います。あるいは災害時の義援金は送ったことがあるけれど、支援のための寄付の経験はない、とか。

多分、寄付するのは、寄付する相手に対して、信頼と賛同と期待の気持ちが高まったときではないかと思います。相手に対する信頼がないと、自分の寄付金はどこに行くのか、いったいどう使われるのか、という疑いの気持ちが生まれます。またやっていることに対して賛同がなければ、寄付しようなどとまず思いません。さらには自分が寄付することで(たとえ少額であっても)、状況を改善する方向に手を貸せると信じられれば、少し幸せな気持ちになれます。

クラウドファンディングは寄付と似ている(あるいは寄付も含む)けれど、やや違うシステムに見えます。わたしの理解では、これから始まるプロジェクトに対して、ネットを通して資金調達の役割を果たすもので、多くの人が参加することによって、一人ひとりは少額でも、大きなお金を集めることができる、そういう仕組。また寄付と違って、プロジェクトが目標金額に達すれば、たいてい(投資)金額に見合った何らかのリターンがあります。音楽CDなどの場合は、予約購入に似ているところもあります。日本ではクラウドファンディングへの参加、投資はそこそこ活発に見えます。少なくとも「寄付」よりは。相手が個別によく見える、新規プロジェクトである、リターンがある、といった現実的な側面が、日本の人の心理に合っているのかもしれません。

寄付という言葉は、なにかこう、、、古い? ダサいっぽい?イメージがあってか、最近はドネーションと英語で言うことも多いようです。「アニドネ」も、アニマル・ドネーションの略です。寄付とドネーションは違うのか、と言えば、おそらく同じです。「サステナブルな」が「持続可能な」と同じことを指しているのと同様です。使い古された言葉では、アピール力が弱くなる、ということはあると思います。

アピール力が弱いだけでなく、「寄付」という言葉を聞くと引いてしまう人も、ドネーション、あるいはクラウドファンディングなら、興味をもつということもあるかもしれません。

でも実態はそう変わりません。寄付でもドネーションでも。クラウドファンディングは、同じお金を使うのでも(目標に達しない場合は戻ってくるという利点?がありますが)、なにか新しいこと、面白そうなことに自分が参加している気分も味わえます。そしてリターンがくれば、自分が支援していたことが成就したという喜びも加わります。参加意識という意味では、クラウドファンディングは寄付よりずっと強力なものがある、と言えそうです。

寄付というのはやりなれないと、なかなか手を出しにくいものかもしれません。

ただそれも考え方次第でしょうか。自分が普段、恩恵を受けているものに対して、感謝と支援の気持ちから寄付すること。よくよく考えれば、それほど難しいことではありません。

たとえばWikipedia。ウィキペディアはよく寄付を求めています。サイトで大々的に寄付を募るだけでなく、メールでも(これは過去に寄付をしたことがあるの人のみかもしれませんが)寄付のお願いの長文が送られてきます。たいてい署名入りだったと思います。また寄付すると、創設者のジミー・ウェールズ氏からお礼のメールが来ることもあります。

ウィキペディアは始まった当初は、百科事典として内容に信頼性があるのかどうか、といった議論がありました。たしか初期の頃に、Wired 日本語ネット版が、内容の信頼性についてアンケートをとっていました。今でも信頼性への疑問はあると思います。ただこの百科事典は、IDさえ取れば、参加自由の誰もが書き手、投稿者になれる仕組なので、もし明らかに間違った記述があれば、それを見て気づいた人が修正すればいいのです。事実関係をよくよく調べて投稿する必要はありますが、良心にもとづいて修正することで、間違った情報は改善していくことが可能です。

(余談ですが、Wikiでは既存の記事内容に修正を加えた場合、プレビューで見て書き手がOKと思えば、そのまま「公開」ボタンを押すと、内容が即変更されます。修正箇所の説明を簡単に書き、「ウォッチリスト」のところにチェックマークを入れておくと、編集担当者が優先的に記事をチェックしてくれるようです。トピックによっては、考えの違う者同士の間で論争になり、記事が「荒れる」こともあるのかもしれませんが、全体としては、良識に沿って記事は書かれ、修正され、性善説が実証されているように見えます。専門家ではない一般の個人の「知」に対して敬意が払われない社会や、リスク管理を過剰に考える国の人々には難しい発想、選択だと思いますが)

さてウィキペディアですが、わたし自身これを使わない日はほとんどありません。他のサイトや参考資料を見ることもしますが、人物の生年月日、来歴などをサクッと調べるときなどは、ウィキペディアを頼りにしています。またほぼ信頼もしています。IDは持っていますが、既存の記事(他者の記述)を改変、修正したことはまだありません。今ある記事に情報を付け加えたり、ときに新しい項目をつくって投稿することはあります。

そんな風につかっているので、ごくたまにではありますが、少額(500円とか)の寄付もしています。また記事の編集(投稿)にかかわることも、一つの支援であると考えています。

ウィキペディア以外では、よく使うものとしてCreative Commonsがあります。これは写真であれ、文章であれ、音楽であれ、著作権者がある条件のもと、自分の作品を他の人が自由に使うことを許可するライセンスで、2002年に最初のバージョンがリリースされました。インターネットが一般化したのちのごく早い時期に、アートの部門におけるシェアの思想を伝える方法論として、大きな衝撃がありました。「When we share, everyone wins」。日本ではなかなか理解が進まないように見えましたが、近年はFlickrがこのライセンスを取り入れていることもあり、だいぶ広まったのではと思います。

葉っぱの坑夫ではかなり初期から、このライセンスを利用して、写真作品をサイトでつかってきました。有料のフォトアーカイブなどと比べると、質的にはバラツキがありますが、けっこう貴重な写真があるのも事実です。たとえば一般にあまり知られていない地名をFlickrで検索した場合、コモンズ登録のあるものが見つかることがあります。こういうものは商業的なフォトエイジェンシーでは、登録がない場合が多いのです。商業的な意味で、価値がないからでしょう(使われる頻度が少ないため)。しかし世の中には世界の秘境や奥地を旅して、珍しい写真を撮り、Flickrに登録しコモンズのライセンスを付与する人たちが少なからずいます。

以前にサイトのために、南米各地のストリート・グラフィティを収集したときは、その奇抜さ、面白さ、量の多さにびっくりしました。地元の人を含め、世界各地からやって来た旅行者などが撮った写真がたくさん集まっていたのです。多くがコモンズとして登録されていました。こういうものを商業的なエイジェンシーが扱っているかどうか。

ウィキペディアで使われている写真も、パブリック・ドメイン以外のものは、クリエイティブ・コモンズのライセンスであることが多いです。

クリエイティブ・コモンズも寄付を募集しています。実は今までさんざん利用してきたにも関わらず、寄付、ということを思いつきませんでした。それでこの記事を書く直前に、少額(500円)を寄付しました。そうなんです、思いつかない、ということがあるんです、寄付。サブスクライブのように、毎月いくら寄付、というような選択もできます。

わたしのように大きな恩恵を受けていても、寄付を思いつかないことがあります。ものを買うときにはお金をすんなり払うのに、寄付をするとなると、躊躇してしまう? わたしがやらなくても、、、寄付しなくても使えてるし、、、でも自分が寄付をしなかったために、またどこかの誰かが寄付を渋ったため、その仕組がなくなってしまったら、、、そう思うと、機会を捉えて寄付はしておいた方がいいと言えなくもありません。

そういえば、ここ数年、年間で寄付をしているところが一つありました。ペルトルッチ国際ライブラリー(IMSLP)です。自動更新で、22米ドル/年を寄付することで、このサイトを優先的に利用することができます。このサイトはカナダにサーバーを置く(従って著作権などはカナダの法律下)、非営利の楽譜ライブラリーで、主としてパブリック・ドメインになった楽譜を収集してアーカイブしています。無料利用も可能で、ほぼ寄付をした人と変わらず楽譜をダウンロードできます。大きな違いとしては、Naxosによる商業的な音源(LPやCD)が、無料利用者は聴取できないこと。クリエイティブ・コモンズ登録による録音のみ、聴くことができます。

わたし自身は、このライブラリーを楽譜のDLでよく利用していたので、支援のつもりで年間寄付をはじめました。このライブラリーを創設したのは、ニューイングランド音楽院で作曲を学んでいたエドワード・グゥ(2006年当時18歳)という人で、バッハ協会のバッハ全集を網羅することを目標にこの仕組をスタートさせました。スタート後にヨーロッパの出版社から著作権侵害であるとサイトの停止通告を受けた際、たくさんの技術的&金銭的支援者(その中にはプロジェクト・グーテンベルクのディレクターもいた)に助けられて再開にこぎつけたというエピソードがあります。インターネットに夢や未来を見る者にとっては、この出来事は心に響くものがありました。やはり寄付への動機として、その志や思想に賛同したり共感したりということは大きな引き金になります。

ただ使うだけなら、無料で、いつでも、ものすごい量のアーカイブの楽譜(現在、バッハ、ショパン、ブラームス、フォーレ、シベリウスについては全楽曲を収録)にアクセスし、ダウンロードすることができ、それで満足でしょう。でもその素晴らしいアイディアと行動力に賛同する気持ちを表したいなら、そういうムーブメントに自分も参加したいなら、支援することです。

ちなみにこのライブラリーには、18世紀の古い時代の楽譜もスキャンされて置かれていますが、利用者が自分のもっている楽譜(著作権的に問題にならないもの)を投稿することも可能です。またクリエイティブ・コモンズ下で、楽曲の演奏を投稿することもできます。そういう意味で、ウィキペディア、クリエイティブ・コモンズ、ペルトルッチ国際ライブラリーはフリーアクセス、利用者の投稿、ライセンス面などで似たところがあり、また相互の結びつきもあります。

クラウドファンディングやシェア、という言葉は、日本でも受け入れやすいのに、寄付となると、どこか距離があったり、空々しく聞こえてしまうことがあるのはどうしてか。一つには自分と社会との関わり方の認識において、ちょっとした違いがあるのかもしれません。たとえばウィキペディアのような、以前から存在しているものに対しては、その仕組がどのように成立しているか、という視点が持ちにくいことがあるでしょう。他の商業的な百科事典との区別がさほどついていない可能性もあります。

一般に日本では、非営利活動への理解が低いように思います。場合によってはちょっとした胡散臭さすら感じてしまうような(法人の節税対策か、など)。日本はアメリカの影響がとても強く、商業的なものへの抵抗感は一般に小さいと思います。ただアメリカの場合、商業は莫大だけれど、そのオルタナティブとして非営利活動も盛んです。日本はその部分が(近年、変化はしてきていますが)まだまだ小さくて、アンバランスに見えます。

非営利活動は寄付によって成り立っている場合もあります。ウィキペディアも、クリエイティブ・コモンズも、ペルトルッチ国際ライブラリーもすべて非営利活動です。URLに「.org」(organization)とついています。ちなみに葉っぱの坑夫も非営利なので、happano.orgです。創始以来、まだ寄付は募ったことがありませんが。非営利活動も事業の一つですが、営利と違うのは、そこで得た利益(たとえば本を出版、販売するなど)を活動(事業)のためのみに使用するのが決まりごとです。つまり代表者や活動員の収入となることがないのです。それが非営利の意味であり、活動はボランティアによって支えられます。

葉っぱの坑夫の活動も、おおよそその路線でやってきました。作品制作に関わるほとんどの人員は、ボランティアあるいはコラボレーターです。まったくの外部の人間(海外の作家など)や商業的な事業者(サーバーなど)、公的機関(日本図書コード管理センターなど)とは、一般的な取り引きになります。ただ、、、感覚として、欧米など海外の作家やエイジェンシーは、一般に非営利活動への理解度が高く、特別な措置をとってくれることも多いです。

一概に何が良くて何が悪い、とは言えませんが、非営利活動を20年やってきて感じるのは、(法人ではない者が)何か行動を起こそうとしたとき、日本の様々なシステムや考え方は、それにあまり合っていない、非営利や寄付といったものと距離があるかな、ということです。

こう考えてくると、寄付に対する理解が進むためには、非営利活動とは何か、なんのために存在しているのか、といった理解が広く浸透し、多くの人にとって身近に感じられるようになっていくことも、一つのポイントになりそうです。

そういえば、このnoteではクリエーターへのサポートができるようになっていますね。ページ下にあるボタンを押せば、サポートが可能です。かく言うわたしも、記事の購入経験はあるものの、サポートはまだしたことがありません。機会をとらえてやってみようかな。どんなとき、誰に対して? 「支援する相手より自分の方が貧しいのに」「こちらが支援してほしいくらいだよ」などと考えずに、支援は支援として、賛同や応援、期待の気持ちを伝えるための行動としてアリなんじゃないでしょうか。


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