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「あいだ」に立つことの難しさについて

相反する何かと何かの間(あいだ)に立ったとき、たとえば「これは白だ」という人と「いや、これは黒だ」という人がいたとして、どっちだと思う?と訊かれたとき、何と答えるか。どちらとも言い難い場合(地の色は白のように見えるけれど、黒も点在していて、グレーの部分もそれなりにあるなど)、「白」と言うか「黒」と言うかは、感覚の問題、定義の問題、あるいは白黒以前のその人間の立ち場によって変わってくるかもしれない。
タイトル写真:中立地点(北緯0度0分0秒 西経0度0分0秒)・ヌル島のブイ

ツイッターを買収したことで、また人権チームをはじめとする大量の社員を解雇したことで話題になっている起業家のイーロン・マスク氏の米中間選挙に関するニュースを日経新聞で読んだ。マスク氏が無党派層に向けて「共和党に投票を」とツイッター上で呼びかけたことが、大きな波紋(反発)を呼んでいるとのこと。(11月8日、日経ネット版)

マスク氏は自分は無党派であると言っており、今年の6月に共和党に投票するまでは、各種選挙で民主党に投票し続けてきたと述べている。

マスク氏が今回、共和党への投票を勧めた理由は、「権力の共有は、両党の最悪の行き過ぎを抑制する。したがって大統領職が民主党であるならば、私は共和党の議会に投票することをおすすめする」ということだそう。

バイデン大統領は民主党、だから実際に政治を担う議会が共和党であれば、「両党の最悪の行き過ぎを抑制する」ことができるということなのだろう。無党派層に向かって発言しているのは、両党の「筋金入り」は、反対側には投票しないからだそうだ。

つまり支持する党が決まっていない人は、行き過ぎを抑制する(中立性を保つ)ために、自分が支持するかどうかとは関係なく、両党のバランス維持のために投票するのがよい、と言っていると解釈できる。そういう投票の仕方はあるのか。あってもいいのかもしれない。

とすると、次期大統領が共和党になった場合は、議会は民主党優勢にするのがいいということになる。

マスク氏はツイッター買収の直後の発言で、「ツイッターが社会の信頼に値するためには、政治的に中立でなければならず、それは事実上、極右と極左を等しく動揺させることを意味する」と述べたそうだ。今回の発言、「共和党に投票を」は、政治的中立を犯すものではないと、マスク氏は考えているのだろうか? つまり特定の党への投票を勧めているは、政治に中立を成り立たせるためであり、その党を支持すべきと言っているのではないと。

ある意味、正しいようにも思える。が、広く多くの人に理解されるのは難しい、とも言える。

政治的に中立とは具体的にはどういうことを指すのだろう。そもそもそういう存在は、この世界にあるのか。

今週、サッカーのW杯がはじまったが、それを取り仕切っているFIFA(国際サッカー連盟)は、政治的に中立なのか*。W杯は211ヵ国が参加する、地球規模の国際スポーツ大会。そんな中、先進(西洋)諸国内だけでなく、全世界で見た場合の政治的中立とは? どうであれば中立なのだろう。(* 後述)

実際のところ、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、FIFAは今回のW杯からロシアを追放した。侵攻がはじまった際、ちょうどヨーロッパ予選の最終段階に差し掛かっていたのだが、その時点で、ロシアの参加を却下した。ウクライナはプレーオフにまわっていて、W杯参加の可能性はあったものの、ウェールズに負けて落選した。

ロシアは2018年のW杯ロシア大会で、強豪と言えるチームではまったくなかったものの、グループリーグを勝ち抜いて驚きのベスト8進出を果たした。監督以下、とてもよいチームだったと記憶している。そういうチームが、国の政治行動によって、スポーツ大会から追放されてしまった。

確かに「戦争を仕掛けた」という意味で、FIFAがW杯へのロシアの参加を却下するのは、政治的立場を抜きにして、理解されるべきことなのかもしれない。ただ戦争というものがどのようにして起きるか……と考えると、本当にフェアな決定だったのか、その答えは一つではないかもしれない。

ロシアがウクライナに侵攻した直後、ヨーロッパのサッカースタジアムでは、スタンドに大きな、いくつものウクライナの国旗が舞い、ウクライナを支援するバナーも数多く見られた。それは「戦争がいけないから」なのか、西側諸国としての政治的な立ち場の主張だったのか、よくはわからない。UEFA(欧州サッカー連盟)は、この行為を承認していた。

ロシアはソ連以前のロシア帝国時代には、ヨーロッパの特に西側諸国からは「オリエント」などと言われ、文化的には「粗野」であると軽視されつつも、モーリス・ラヴェルのような当時の新世代作曲家にとっては、異国風であることが魅力として受け取られていたようだ。冷戦時代は共産主義国として西側の敵視の対象だった。それは今も残っているように見える。ヨーロッパの枠組みにあるものの、政治的にも文化的にも異質な国、それがロシアということか。

話がそれるけれど、先日、日経新聞ネット版を見ていたら、「新・悪の枢軸」として、金正恩、プーチン、習近平の3人の顔写真が並んで表示されていて、ちょっと驚いてしまった。これって、政治的偏向じゃないの? 大手新聞社の表現としてまずくないか? と思った。この3人のチョイス、命名は、ある立ち場から見た一側面に過ぎないのでは?

新聞(特に全国紙)には、できるだけフェアで中立な立ち場を保ってほしいと思うわけだけれど、いま現状では(いや、いつの時代でもか)それがとても難しい。そういう中、イーロン・マスク氏が、ツイッターは「政治的に中立でなければならず」と言ったことは、実際にそうであるかは別にして、意味あることだ。新聞社にも、改めて「新聞社は政治的に中立でなければならない」と言ってほしい。そして一方からのニュースのみを前面に据えたり、主張に合うことのみ喧伝(けんでん)するのではなく、実際に起きたことをフェアな態度で、バランスをとって報道してほしい。

話をロシアに戻すと、西側諸国(特に米国)から見たロシアは、冷戦後も引き続き一定の敵視の対象になっていると思われる。その意味で、W杯が前回ロシアで開かれたことは驚きかもしれない。どうやって票を集めたのか。

中立という立ち場をとるのは、現実の社会では難しいことなのだと思う。どちらかを支持したり、そこに属したりするよりも、ずっと大変なことなのだろうと想像する。中立の立ち場をとったことで、孤立する可能性もある。無党派層が中立なのかと言えば、どちらにも組しないという意味ではそうかもしれない。が、それは消極的中立かな、とも思う。

政治に関心のない人間にとっても、社会の中で、いろいろな場面で、中立の立ち場を維持することは難しそうだ。ではどうであることが中立、それも積極的(あるいは自律的)な中立なのだろう。

このことを考えるために(中立的立ち場のモデルケースとして)、韓国人の日本文学者、朴裕河(パク・ユハ)さんの著書『和解のために:教科書・慰安婦・靖国・独島』を取り上げてみたい。中立(あいだに立つ)とはどういうことか、学んでみようと思う。

この本は著者が韓国語で書き、2005年に韓国でまず出版された。それが日本語に翻訳され、翌年、平凡社から出版された。「日本語版あとがき」によると、「韓国語版では韓国批判をやや強く、日本批判をいくぶん控え目にしていた。しかし日本語版を出すにあたって、日本への批判を少し加筆した。その理由は、この本をその場に必要な本にしたかったからである。」

「その場に必要な本」とは。つまり日本を非難する自国の読者に対しても、韓国を非難する日本の読者に向けても、自制を促すということだろうか。本全体として見ると、著者は両者の言い分を過去の多様な史料から長い引用文をつかい並列し、丁寧に分析しているように見える。

この本は、日本では大佛次郎論壇賞(2007年度)を受賞しており、日本の良識において、あるいは知識人の目から見て、遜色ないと認められたということだろう。その意味で、一定の中立性があると考えられる。韓国でこの本がどう受け取られたか、評価されたかはわからない。自国の人間が書いた本という意味で、韓国ではもしかしたら批判の対象になった可能性もある。「日本を擁護している」「日本寄りの本ではないか」といった。

この本が、両者の対立点をどう引き出し、どう論評しているかの例をあげたいと思う。取り上げるのは、著書の中の四つの課題から「独島」、日本語では「竹島」の章。

著者の朴裕河さんは、独島(この本ではこの表記になっている)が韓日間(これも本の表記に従う)で問題となったのは、1952年のことで、韓国が李承晩ラインを宣布して警備隊を送り、韓国の領土であると宣言したときだという。それは日本にとっては、連合国の支配体制を脱して、独立国家としての主権を取り戻したときに重なる。

著者がまとめた韓国側の主張の一例、その1(韓国が独島を領土であると考える根拠の一例)

 『高麗史地理誌』等各種史料は、朝鮮が古くから独島を認知していた事実を示している。鬱陵島(武陵島)からは独島が望めるので、両島は隣り合った母子関係のような島だといえよう。

『和解のために:教科書・慰安婦・靖国・独島』第四章「独島:ふたたび境界民の思考を」より

日本側のこの件についての主張は、次のようなもの。

 ……竹島と鬱陵島が互いに眺められる位置にあるとするが、鬱陵島からはよほど高い場所に登らない限り、竹島を目にすることはできない。したがって鬱陵島から見えたと史料に出てくる島は、あくまでも鬱陵島のすぐ隣りにある竹嶼島である。于山島や三峰島が竹島だとの証拠はない。

同 第四章「独島:ふたたび境界民の思考を」より

韓国側の主張の一例、その2。

 江戸幕府が日本人に鬱陵島に行く許可証を発給したのは、事実、鬱陵島が日本ではない朝鮮の領土だったからだ。安龍福がおこなった一連の談判の結果、江戸幕府も1696年に鬱陵島が朝鮮の領土であることを正式に認定した。(筆者注:承認文書には独島への言及はないが、独島は鬱陵島に付属する島嶼であるから、日本はこれも認定したことになる、とつづく)

同 第四章「独島:ふたたび境界民の思考を」より

これについての日本側の主張。

 江戸幕府はそのように鬱陵島を朝鮮の領土と認めたが、竹島まで朝鮮領と考えていたのではない。鬱陵島周辺の操業をめぐる日朝間の交渉の結果、幕府は1696年に鬱陵島への渡航を禁じたが、竹島への渡航は禁じなかった。

同 第四章「独島:ふたたび境界民の思考を」より

これを読んでも、島の名前や位置に不案内であれば、何が争点なのかよくわからないかもしれない。実際、過去の地図にある島は、後に名前が変わったりもしていて、どの島を指しているのか不明瞭なところもあるようだ。これについて著者は次のように言っている。

 ところで、互いに地図や各種の史料に出ていると主張するその島は、はたして今日韓国が問題としている、その島なのだろうか。双方の主張はその点に関してはいくぶん信憑性が乏しいように映る。鬱陵島を含めてこれらの島嶼が何度も名前を変え、あまつさえ同時にいくつかの名前をもつこともあったという点は、混乱を加速させる。

同 第四章「独島:ふたたび境界民の思考を」より

上にあげたのは争点のごく一部。これ以外のさまざまな史料による、双方の主張もすべて読んではみたけれど、それを読み込んで理解するのはなかなか難しかった。独島/竹島問題に限らず、たいてい紛争というのはこういうものだ。どちらかの主張が100%正しいように見えることは稀だ。

著者はこの章の最後のところで、この島を両国の共同領域としたらどうか、という提案をしている。1年の半分は暴風が吹きつけ、人の住めない、利用価値があまりないとされるこの島を争いの場にしていがみ合うのではなく、過去を清算する意識をもって、「立派に和解する」、そういう道を選んではどうかと。

島をめぐる領土紛争をそのように解決した前例が、実際になかったわけではない。「モロッコとスペインは該当する島を放置することで合意し、領有権を凍結」したし、「アメリカとカナダは島を共同開発することにし」、また「英国とスペインは共同主権を行使する法案を議論中」である。(中略)さらに韓日両国は、すでに独島付近を中間水域とした共同管理の経験をもっている。

同 第四章「独島:ふたたび境界民の思考を」より

共同所有については、1963年1月に、「竹島の帰属については、アメリカの調停で日韓両国の共有にしたらという話がでている」と、当時の自民党副総裁が記者会見で発言しているそうだ。しかし島根県が「竹島は日本の領土として確保されたい」「共有には絶対反対」と声明を出しており、この提案は通らなかった。これについて著者は、「島根県の利益のために、国家間の和解の契機が失われた実例」としている。竹島周辺の島の名前を検索しているとき、島根県の公式サイトに出会った。この問題のトップタイトルには「竹島は島根の宝 わが領土」とあり、その下には「韓国が知らない10の独島の虚偽」などの記事があった。外務省サイトのこの問題に関する表現より、やや強めの主張が垣間見えた。

最後にこの本で著者が紹介している、近代国家成立以前の日本人と韓国人の共存の実態について記したい。1800年代末に、鬱陵島には朝鮮人だけでなく日本人も住んでいたという事実があるそうだ。1882年に朝鮮が「空島政策(李氏朝鮮時代に、倭寇対策として島の住民を本土に移住させたとされる政策)」を移住政策への転換したことで、(朝鮮)本土の人がこの島に移住をはじめた。1889年に「日本朝鮮両国通漁規則」が調印され、日本海沿岸の漁民が鬱陵島へも渡航できるようになり、この海域で漁業を営んでいた、とある。1882年の調査では、朝鮮人140名、日本人78名がすでに暮らしていて、1890年代には朝鮮人の約450戸に対して、日本人が約300戸を占め、日本人町を形成していたともある。これについて著者次のように書いている。

重要なのは、決して短くない期間を通じて、朝鮮人と日本人が鬱陵島でともに暮らしたという事実である。そしてこうした状況こそが、まさしく近代以前、すなわち国民国家としての境界がまだ不確かだった時代の、自然な姿であったはずだ。

同 第四章「独島:ふたたび境界民の思考を」より

この章の副題に「ふたたび境界民の思考を」とつけているのは、このような事実から得た発想なのかもしれない。

いかがでしたでしょうか。いくつかの引用文をつかって、この著者の中立的立ち場の取り方を紹介したつもりであるが、うまくいったかどうか。著書の中には、あまりにもたくさんの争点や両者の論拠があるため、一部を紹介したところで全く間に合ってないことは承知している。ただ片鱗は見えただろうか。

この本のタイトルは『和解のために』とある。著者がなぜ、中立の立ち場に立とうとするかといえば、こんがらがり縺(もつ)れ、いがみ合うしかない現状に対して、「和解することで解決する」という提案、目標があるからだろう。共同主権にしろ凍結にしろ、法的整備をするには、まず和解がなければ不可能ということ。

誰にとっても和解は簡単なことではない。国家間だけでなく、家族間、夫婦間、友人間、師弟間、政党間、社内の派閥….. 中立的立ち場をとることは、ある意味、いったん主張を取り下げて、自分を「無」にすることなのだろうか。相手を理解することが難しければ、とりあえず自己を無=nothingにしてみる(禅みたいだが)。相手のあり方とは関係なく、自分のあり方を変えてみるという方法はあるのか。

わからない。長々と書いたけれど、残念ながら、中立についての有意義な議論には、あまりならなかったかもしれない。今後も考えてつづけていきたい。

*「FIFA(国際サッカー連盟)は、政治的に中立なのか」について
先週の土曜日(11月19日)のヤフーニュースで、ちょっとびっくりするようなFIFA会長の発言についての記事があった。イギリスやドイツのメディアから一斉に「恥ずべきスピーチ」「スキャンダル」などと攻撃された発言。カタールでW杯が開催されることへの西側諸国の批判や反発(カタール国内の人権問題など)に対して、インファンティーノ会長の言ったこと:
「ヨーロッパは道徳的な教えを説く前に、世界中で3000年間やってきたことに対し、これからの3000年間謝り続けるべきです」
はっはー……これはスゴい。西側諸国の、世界最大とも思えるスポーツ連盟のトップが、このような発言を公の前で、重要な大会の前にするとは。西洋諸国(覇権国)というのは、こういう発言をする(ができる)人物をも生み出すのだな、と感心しきり。

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