【ロンドン発】ヒジャブでサッカー。スポーツの楽しさも、宗教への忠誠も! ヴェール考察<1>
イスラム・ジェンダー研究者の調査で、1990年代以降、世界各地でヴェールを被るムスリム女性が増えてきた、という実態が報告されています。
地球上のイスラム教徒は数の上ではキリト教徒とほぼ同じくらい(約20億人)、しかし西欧優位社会の中では、ある意味マイノリティです。さまざまな理由から偏見にさらされ、誤解や無理解もあって苦痛を強いられてきた歴史があります。
そんな中、いまを生きるイスラム教徒の女性たちは、どのような考えをもって生きているのか、なぜヴェールを被るのか。その実態や理由を知りたいと思いました。
とっかかりとして、二つの事例を見てみたいと思います。一つはロンドンで生まれたムスリム女性によるサッカークラブ「シスターフッドFC」。もう一つはNGO「国境なき医師団」で支援活動をする手術室看護師の白井優子さんのイエメン・ヒジャブ&アバヤ体験談です。
情報の原典となるメディアや研究書を明示し、参照できるようにしました。
自分の服装でプレーできるフットボールクラブ
「女子だからとか、イスラム教徒だからとか、そんな理由でスポーツをやめようと思ったことはなかったし、どんなスポーツもやってはいけないと思ったことはなかった」と語るのは、ソマリア系英国人のヤスミン・アブドゥラヒさん。ムスリム女性のためのサッカークラブ「シスターフッドFC」を2018年に、ロンドンで創設した人である。
ヤスミンさんがサッカーに夢中になったのは、家族とともにソマリアから英国に引っ越してきた9歳のときだった。小学校では先生から、ボールタッチやスピードをほめられた。チャールトン・アスレチック(ロンドン近郊にあるプロサッカークラブ。3部相当)にスカウトされたこともあり、プロのサッカー選手になるのが夢だったという。
両親は宗教とサッカーが両立するものなのか、心配してそれに反対した。サッカーをとるか、宗教をとるか、という選択にいつか迫られるのではないか、と案じたのだ。
実際のところ2007年、国際サッカー連盟(FIFA)は安全上問題があるとして、サッカー場でのヒジャブ(ヴェール)の着用を禁止した。最終的にヒジャブ着用が全面解禁となったのは、2014年のことである。(フランスは政府レベルで現在もあらゆるスポーツで禁止)
高校卒業後、ヤスミンさんはロンドン大学ゴールドスミスカレッジに進み、教育学を専攻した。そして大学の女子サッカーチームに所属していた。カレッジにはイスラム協会があり、ラマダンの断食明けにイフタールというイベントがあった。そこで出会ったムスリムの女子学生たちは、ヤスミンさんがサッカーをしていると言うと、「ヒジャブをつけてサッカーをするの?」と息をのんだという。
ヒジャブを着けた人は、サッカーに参加できないと思い込んでいたのだ。
彼女たちは自分たちもサッカーがしたい、トレーニングをしてほしい、とヤスミンさんに頼みこんだ。それがきっかけとなり、大学のイスラム協会の助けを借りて、フットボールクラブの設立が進められることになった。ヤスミンさん自身、大学の校内をまわってムスリム女性たちにサッカークラブのことを広め、メンバーを募った。
サッカーを楽しむことと、自分の信仰心を両立させる、それがシスターフッドFCのミッションである。その点を強調するため、エンブレムにはヒジャブがあしらわれているという。ムスリムの女性が何も犠牲にしたり我慢したりすることなく、自分が快適な状態のまま、スポーツを楽しめるようになったのだ。最初数人だったクラブメンバーは、どんどん増えて膨らんでいった。(現在100人近い選手がいる)
シスターフッドのメンバーは、ヒジャブを着けたままサッカーをしたい、それは自分の信仰を捨てずにサッカーができるから。コーランにヒジャブ着用という規律が書かれているわけではない。彼女たちのコーラン解釈(慎み深い服装をするという)によって、ヒジャブを着けることが選ばれているのだ。このことをまず私たち部外者は理解しなくてはならない。
服も生活の様式も考え方もすっかり西洋化した日本人からすれば、「あんなふうに髪を覆う(隠す)」ことの価値はわからない。封建社会の象徴のように、民族の、あるいは宗教のしきたりに盲目的に従っているように見えてしまう。だから「戒律」や「強制」ではないかと短絡的に思ってしまう。
イスラム社会のヴェールの歴史をたどると、たとえばエジプトでは1960、70年代に社会が世俗化して、多くの女性がヴェールを脱ぎ、ヨーロッパ人と変わらない服装になったという。それが1990年代になって、女性たちがヴェールを着けるようになったのは、自分たちのアイデンティティを(イギリスの植民地政策占領下で暮らした経験への気づきから*)取り戻すという意味があったそうだ。彼女たちがアイデンティティとして見つけたのが、イスラム教やコーランの教えであり、自分が自分である生き方を選ぶためのツールになった、ということのようだ。
(このような意味でいうと、日本人であるわたしは一種のアイデンティティ・クライシスに陥る。自分の民族としてのアイデンティティがわからない=自分が自分である生き方の基はどこにあるのか → → → いやいや21世紀人である自分は「世界市民」であるから必要ない?)
*エジプトは1922年、イギリスからエジプト王国として独立、1953年、王制廃止、共和制に移行してエジプト共和国となる。
戒律が最も厳しそうに見えるイランではどうか。2022年9月、2023年10月と続いて起きた「風紀警察」による蛮行(とされる)、ヒジャブの着け方に問題があったため罰せられ死亡した女性の事件は、西側メディアでも大きく取り上げられ、それがヒジャブ → イスラムの戒律 → 女性への強制、人権侵害のイメージを私たちに強く焼きつけた。
しかしそのイランでも、歴史を見ると、時の政府による西洋化推進政策による「ヒジャブ廃止」があり、その後「その撤回」、さらに「ヒジャブ義務化」とわずか50年足らずの間に、価値の揺れ動きが起きている(1936〜1980年)。ヴェールの着用は、このことからも「宗教上の戒律」というより、時の政治、政府による決め事(コーランの解釈の仕方)と見ることができる。
ロンドンのムスリム女性たちにとって、シスターフッドFCができたことは、スポーツへの窓が開いた画期的な出来事だった。メンバーの一人、ロンドンの広告代理店でソーシャルメディア・マネージャーとして働くタレガニさんは、アイルランドの学校に行っていたときは先生から(スポーツ時には)ヒジャブを外すよう言われ続けたという。そして危険だからという理由で、短パンを履くよう強く勧められたそうだ。「学校でスポーツをしなくなった理由はそれです」と彼女は言う。イスラム教徒であるタレガニさんにとって、短パンを履くことは、「慎み深い服装をする」というコーランの教えに反するのだろう。
西洋社会の基準や常識から見れば、女性が太ももや腕や胸元を露わにすることは普通のことかもしれないが、イスラム教徒の中には、短パンを履いたり髪をさらしたりすることに強い抵抗感がある人がいるということがわかる。それは地球に数ある文化の多様性に他ならないし、短パンを履くことを強要するのは、西洋思想による価値の押しつけかもしれない。
それともう一つ、この記事を書くに当たって参考にした、ガーディアンやアルジャジーラが掲載している写真を見て思ったことがある。彼女たちはそれぞれのスタイルでヴェールをかぶっているが、ヴェールの中に見える肌色は千差万別。アフリカ系からヨーロッパ系まで多様で、そこには人種差別というものがないように見える。イスラム教を共有し、同じ枠組みにいることで「それ以外の差異」には頓着しないということなのかもしれない。
シスターフッドFCは週1回のトレーニングセッションを行い、ファーストチームは5人制と7人制のレディース・スーパーリーガに出場している。
↑ ヤスミン・アブドゥラヒさん他が語るシスターフッドFC
この記事のタイトル画像はここからの引用です。
"Meet the female football team united in faith and football | Scenes"
違う文化や風習の中で仕事するには、理解と尊重が大事
次にヴェールを着けて支援活動をすることもあるという、一人の日本人女性を紹介したい。白川優子さん、国境なき医師団で手術室看護師としてイエメン、シリア、パキスタンなど紛争地や危険地で医療・人道支援活動をしている。朝日デジタルの「国境なき衣食住」という連載エッセイで、現地の人々の生活や女性の生き方について書いているのを読んだ。
*ムスリム女性のドレスコードは国や地域によって違い、イエメンではアバヤの着用が必須と白川さんは事前に伝えられていた。
アバヤというのは全身を黒い衣装で覆うマントのようなロングコート、ヒジャブは頭にかぶる。これにニカブという顔を覆う布があって、敬虔なイスラム教徒の3点セットのようだ。2012年当時、白川さんが派遣されたイエメンではアバヤの着用が必須だったとか。
白川さんは毎日着ているうちにこのアバヤが気に入って、今後派遣される地域でも役に立つかもしれないと思い、(配布されるものではなく)自分専用のものが欲しくなったという。そしてアバヤショップに出向いて購入することに。
一見真っ黒に見えるアバヤだが、一着一着デザインは違い、外からは見えないオシャレのレベルに驚かされた、とも書いている。また意外に着心地は悪くなく、視界も確保されていて自由に歩けるし、体を覆っていることで外からの視線に守られている感覚があったとのこと。
文化背景の違う国で活動するということは、ただもくもくと業務をこなすだけでなく、いやその業務を滞りなくこなすためにも、現地のさまざまな側面への深い理解や歩み寄りが必要なのだろう。
エッセイの最後に、白川さんは次のように書いている。
「衣装の内側にあった女性たちの素敵な笑顔」には、白川さんや病院で働く現地の同僚、治療を受ける子どもたちの写真が掲載されている。その写真を見て、テキストを読んで、白川さんがこのエッセイで何が言いたいのか、よく伝わってくるように感じました。
エジプトの作家やフェミニストの考え
「ムスリム女性が単にヴェールを被るか被らないかという外形的なことが問題の本質ではなく、女性自身に、そのことを自ら考え、選択する知の力を育てることこそが肝要だ」。「砂漠の探究者」のペンネームをもつエジプトのフェミニスト知識人マラク・ヒフニー・ナースィフ(1886〜1918年)の発言。
21世紀のいま、世界的にヒジャブを着けるムスリムの女性が増えている、という報告から想像できるのは、多くの場合、彼女たちがそれを自身で判断し実行している、と理解していいのではないか。ムスリム女性は「戒律」によりヒジャブを着けることを強制されている、とばかり考えるのはあまりに短絡的だ。彼女たちの自主性を見ようとしない部外者の傲りであり、ムスリム女性の人間性を無視した失礼な態度だと思う。そしてそれが彼女たちに対する偏見(戒律や社会に隷属化されている受け身の人であると見る)の要因となっている。
中東の国々やアラブ諸国の女性の現状について、西側諸国が好んで取り上げる「女性の人権問題」は、「先進国による思い上がり」のように見えることがしばしばある。エジプトの著名な作家ナワール・サアダーウィー(1931〜2021年)は、著書の中で「西洋は私たちに人権を教える側ではない」と断言しているそうだ。これはエジプトが1922年の独立後も、イギリスから新植民地主義による支配を受け、抑圧されてきた歴史を物語っている。
次回予告:
【ナイキ発】 肌の露出の少ないスイムウェア ヴェール考察<2>
*次回「ヴェール考察<2>」では、NikeやUndercoverのムスリム女性用スイムウェア、ユニクロなどファッションブランドのヒジャブ、パリ五輪のヒジャブ問題などを取り上げます。(11月16日公開予定)
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