買い物は好きだけど、憂鬱な瞬間がある

私は週に3日、近所のスーパーへ買い物に行く。以前は、夫が車を出してくれたので、一度にたくさんの食料品を買ってくることができたが、一人暮らしになった今は徒歩で、買い物バック1袋に収まる分だけ買ってかえる。

基本的に買い物は好きだ。私の足で片道10分。足腰が弱ってきたとはいえ、まだ苦になるほどではない。野菜などは新鮮なものを自分の目で見極めたいし、催事コーナーに並んでいる新商品に挑戦することも楽しい。そして何より、知り合いに会えるのが楽しみだ。買い物は口実で、誰かとの交流が本当の目的なのではないか、と自分でも密かに思っている。

出かけるのはいつも夕方5時ごろ。店が最も活気付く時間だ。私からすると、最も知り合いに遭遇しやすい時間。私と同じ一人暮らしの仲間もほぼこの時間に集合する。病院の待合室が近所の年寄りの集会所になっていると、夫の病室で読んだ新聞に書いてあったが、それに比べればスーパーで顔を合わせる私たちは健全だろう。

週3回のお楽しみにも、実は最近少し気がかりがある。そのことを都内に住む娘に話したら、「もう一人で買い物に行くのはやめて、配食サービスを使った方が楽なんじゃないの?私が手配してあげようか?」と言われた。もちろん娘は、おしゃべりのために私が買い物に出ているとは思っていない。


私の気がかりは、ひととおりおしゃべりを終えて、お会計に進んだ時だ。レジ係の女性が商品のバーコードを読みとり、手際よく”会計済み”の黄色いカゴへ詰め替えていく間、私は左手に財布を持ちながら、必死に頭を巡らせている。別に暗算の脳トレをしてるわけではない。支払いの心構えをしているのだ。

全ての商品がカゴに入り「○○円になります」がスタートの合図。よほど運のいい時以外、百の位から一の位までゼロが並ぶことはない。

最初にお札を出す。ここまでは順調。問題はこのあとだ。

その間にレジ係は、愛想よく次の客の商品をバーコードに通している。後ろに並んでいた私の娘ぐらいの年頃の女性客は一歩私に近き、麻製の小さな手提げバッグからブランド物の長財布を取り出した。

次の客の商品は半分ぐらい黄色いカゴに移っているだろうか。「若いんだからもっとたくさん買えば良いのに!」私は頭の中で、まったく論理性を欠く独りよがりな叫びをあげた。

タイムリミットが迫っている。

一方私は、レジに表示されている金額と、小銭の枚数を頭の中で必死に合わせようとしている。しかし、頭の中で出てくる答えが毎回違う。小銭入れをひっくり返す衝動に襲われるが、そんなことできるわけがない。

「少々お待ちください」うしろの客に声がかかった。声をかけられた方は表情ひとつ変えず、私の後ろに立っている。いつの間にか右手には銀色のカードを持って。

タイムリミットだ。

私は、頭の中でぶちまけた小銭入れを元に戻し、札入れから千円札を1枚、すでに出している千円札の上に重ねた。

「○○円のお返しです。ありがとうございました。」

3色のコインが数枚、ジャラジャラと私の掌に載せられた。金額を確かめることもなく、私はそれを小銭入れへと流し込む。

黒星で膨らんだ小銭入れは、「もう無理だ」と、まるで私を嘲笑うかのようだった。


※この物語は実際の体験を元にしていますが、登場人物や場面設定などは全て架空です。また、登場人物の心情は、モデルとなった方が実際に発した言葉と、作者の想像を合わせて書いていますのでご了承ください。



買い物に関してよく聞く悩みです。

認知症のある方、目が見えにくい方、手先が震える方…

誰もがまちへ出て楽しく買い物をするために、私たちは地域で何ができるでしょうか。

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