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電子化は郵便をどう変えるのか?デンマークの例

デンマークの郵便事情は、先進国にもかかわらず「かなり悪い」という話を聞いたことがありますか。かつて、郵便は、公共・ユニバーサルサービスとして全国津々浦々郵便ネットワークが行き届き、人々のコミュニケーションの要となっていました。私が北欧に住み始めた2005年頃は、ひどいと言われつつも2−3日で国内郵便は届いていましたし、日本からのEMSも1週間程度で届いていました。

約20年後の現在、郵送による手紙や小包は、今まで比較にならないほど、不便で届きにくくなっています。日本人的感覚ではもちろんのこと、欧州人も時に苦笑いするほどです。もちろんコロナによる航空便の状況やウクライナ侵攻などの影響は大きく、過去2年ほどの状況は極端とも言えるのですが、今後も郵便は不便になる一方であることは変わらないように思えます。もちろん重要な手紙や書類・小包もあるでしょう。例えば、オンラインショッピングでの購入品やビジネス書類、家族からの小包など、ユニバーサルサービスの枠組みに入りにくい、生活必需品とはいえない類の輸送物です。このような輸送物は、デンマークでは、郵便物として送付されることはなくなりつつあり、民間企業の小包サービスとして、比較的高額で提供されるようになっています。手紙や書類や小包の輸送は、皆がアクセスしやすいわけではない(ユニバーサルサービスではない)高額な民間サービスに移行しつつあるようで、これは世界的な傾向のようですが、デンマークの郵便事情手紙が届かないことが普通になる日で紹介したように、デジタル化が進むデンマークでは、特に顕著に見られています。

でも、デンマークでは、多くの人が「それでいい」と受け入れています。最も重要な生活に不可欠なコミュニケーション手段は郵便からデジタルに置き換わっているからです。大切な行政や企業からの連絡は、いつでもどこでもデジタルで届きますし、わざわざ封書で2−3日かけて郵送する理由などどこにもないからです。

私の住んでいる首都コペンハーゲンでは、街中の郵便ポストの数も減少し、集荷は週に一度、配達も同様に週に一度になってます。そのため、九州ほどの広さのデンマーク王国ですが、国内郵便でも1週間程度かかりますし、10年前は1週間ほどで到着していた日本からのEMSも1ヶ月ほど見る必要があります。私の場合、急ぎの郵便や大切な書類の郵送は民間を使い、情緒を大切にするクリスマスカードなどは普通郵便を使います。

郵便の(簡単な)歴史

基幹インフラとしての郵便の時代

かつて、郵便は国の大事な基幹インフラでした。隅々にまで情報を行き届かせるための最大の努力が払われ、国策として郵政ネットワークが敷設されていました。郵政事業は、ユニバーサルサービスとして位置づけられ、全国的にサービスが展開されることを保証する代わりに、郵政事業を管轄する組織にはさまざまな便宜が図られるなど、専有的な権利と権力を行使していました。これは、デンマークをはじめとした北欧、そして日本も(そしておそらくその他の国も)同じ状況だったといえます。

郵政事業の民営化の時代

時は流れ、2010年を超える頃になると、多くの国がその公共性から国営されてきた郵便事業の民営化を進めるようになっていきます。国の公共サービスとしての重要性の低下が背景にあるのだろうことは疑いもなく、効率化を図るため、採算の取れなくなりつつある公共事業・郵便に、民間企業の論理が導入されるようになっていきます。欧州のどこの国も、詳細は異なれど同じような道を辿っているようです。

北欧の郵政事業者

北欧の一角、デンマークおよびスウェーデンでは、郵政事業は国営会社PostNord(ポストノード)が請け負っています。ポストノードは、2009年に株式会社デンマーク郵便と、スウェーデンの有限責任公社ポステンが合併して作られた持ち株会社で、親会社としてスウェーデン有限責任公社Post Nordが設置され、本社はスウェーデンのソルナに置かれています。デンマーク政府とスウェーデン政府が40%-60%で所有し、50-50で議決権を持つ公共的な有限会社としてサービスを展開しています。そして、子会社として、PostNord Danmark、Posten AB、Strålforsが事業活動にあたっています。郵政事業市場の縮小を受け、2009年の設立時に4万人を超えていた総従業員数は、2016年には33,278人となり、1万人弱の人員削減を行ってきたことがわかります。その後も人員削減は続いています。

簡単にその他の北欧諸国を見てみますと、ノルウェーの郵政事業Posten Norgeは、ノルウェーの通商産業水産省が単独株主となって1996年に設立されていますし、フィンランドの郵便事業者Postiは、公共有限会社として、フィンランドでのユニバーサルサービスを請け負っています。それぞれ基盤となる国では、ユニバーサルサービスを担う組織として機能していますが、国際的には多角的な運営をしている組織がほとんどです。例えば、PostNordはノルウェーでの郵便・物流事業を手掛けているますし、Postiは民間企業としてスウェーデンやノルウェーなど他国で郵便や物流サービスを展開しています。

郵政事業の危機は続く

北欧の郵政事業者は、順風満帆で郵政事業を請け負っているわけではありません。例えば、2016年には、デンマークとスウェーデンの郵政事業を請け負うPost Nord社は15億クローネにも及ぶ赤字を計上し、国会では緊急会議が招集されています(PostNordの危機)。スウェーデン事業は黒字だった一方で、デンマーク事業の赤字が15億クローネに及び、合計で7億8000万クローネの赤字計上となったことが要因です。同様の郵政事業の赤字計上によるスキャンダルは、2021年にも発生しています。これは後で述べるデジタル化が大きな影響を及ぼしています。

また、人員削減を進めているとはいえ、現段階での民営化は困難な状況であると見られています。というのは、デンマークの従業員約1万人のうち約3分の1を占める3,200人がいまだに公務員契約の下、雇用されているからです。そもそもデンマークでは、解雇する際には雇用年数に比例した補償が払われる必要があり、雇用者(本件の場合は「国」)がかなりの痛みを受けるのですが、公務員である郵便職員を解雇する場合には3年分の給与補償と生涯の厚生年金の支払いが求められるため、一人当たり最低でも150万クローネ、合計50億クローネを超える税金がさらにそれに充てられる必要があるためです。これらは、郵便事業という重要なインフラを担う郵政職員が、ストライキに加わらないという条件とのトレードオフで合意されたものですが、今となっては、極端な解雇や組織再編成は難しいという状況を生み出し再編を困難にしています。

また、民営化を進めようと決まったとしても、ユニバーサルサービスを提供する事業として、魅力を感じ参入する企業がどれぐらいいるかという点もデンマーク国内では議論になっています。ユニバーサルサービスを達成させるということは、国内全土で同じ料金、日数内に配達するとなどの条件を満たすことが求められますが、そのような困難な条件をあえて受けて、斜陽ビジネスに取り組む企業が出てくるのだろうかという疑問です。

電子化の影響

今、北欧諸国は、世界にも名だたる先進的な電子政府を持つ電子社会となっています。そして、この電子化の進展は、皆さんの想定通り郵政事業に大きな影響を与えてきています。過去20年の北欧諸国で見られた積極的な電子政府の進展、社会におけるあらゆる分野における電子化の進展は、ただですら綻びつつあった郵政事業をさらに窮地に押しやっています。

電子化が郵政の息の根を止める

デジタル化により、郵便物の流通量が極端に下がったためです。デンマークでは、公共機関からの連絡は2014年11月を最後に全て電子化され(2022年現在、7%ほどの市民は例外として依然郵送で受領している)、今まで郵送されていた税務書類や各種社会保障関連の連絡、電気などのインフラ企業、銀行からの連絡などは全てデジタルに置き換わりました。社会の電子化に伴い、公共機関ばかりでなく民間企業からの連絡もデジタルが主流となっています。つまり、水道料金の確認などは、デジタルで届き、紙で郵送されることはほぼ無くなっています。

ちなみに、スウェーデンでは公的機関から連絡を受けるとき、電子媒体で受け取るか、郵便物として受け取るかを選択できることになっています。2016年当時、直近の四半期で見た郵便物の総計比較では、デンマークでの総数が23%減少したのに対し、スウェーデンでは7%の減少にとどまり、スウェーデンの郵便物の数量はデンマークの5倍でした。デンマークの郵便量の減少傾向は続き、直近の2020年の統計では前年比19%減でした。

デンマークの選択

デンマークでの郵便物総数は1999年に最大を迎え、年間15億通を数えましたが、それからは減少の一途をたどり、2015年までに70%の下落を見せています。中でも、翌日配達される優先順位の高い郵便物(A郵便)は90%減です。この翌日配達郵便の価格は数年で劇的な値上げを繰り返し、2015年には10クローネから倍の19クローネに値上げされました。そして、2016年7月にはA/B郵便から、普通郵便と速達便の分類に変更され、これまでのA郵便が行っていた翌日配達は速達郵便とされ、26クローネに値上げされました。さらに「普通郵便」とされた郵便物の国内配達条件は、翌日ではなく、5日以内の配達になりました。翌日に郵便が到着することは期待できないばかりか、国内郵便で1週間近くかかることが通常になり、それだけでなく価格も急上昇したのです。この数年間で取られてきた郵便サービスを維持するためのデンマークの方法は、「サービスを低下させる」「郵便料金を上げる」というアプローチでしたが、これ以上に押し進められないギリギリのラインにまできているようです。

ユニバーサルサービスを謳いつつも公共サービスとして採算を取るための選択として、デンマークをはじめとした北欧諸国は郵政分野で極端な効率化を進めてきました。日本に住んでいる人たちにとっては信じられないことではないかと思われますが、2022年現在、ポストの郵便物回収は一週間に一度、戸別配達も一週間に一度となっています。郵便物は(土日は除く)5日以内で宛先に届けられることになっているのですが、これは国内の話で、国際郵便は極端に遅くなっています。

オンライン取引による小包流通の増加

一方、郵便の流通量の減少とともに、デンマークを含めた各国では、EC(電子商取引)に基づく小包などの物流量が増加しています。つまり、デジタル化は、国のユニバーサルサービスとしての郵便の役割をほぼ終わらせたと同時に、デジタル決済やオンライン取引の増加を進め、明らかに新しいビジネスを生み出し促進する要因となっています。このオンライン取引などの事項に関しては、本論とは趣旨がずれるので、またの機会にしたいと思いますが、消えていく産業があれば生まれる産業もあるという自然の摂理が見えるようです。

最後に

おそらく今でも、日本の速達は、早ければ当日に届くこともあるでしょう。でも、仮に国内郵便が1週間ほどかかり、国際郵便が1ヶ月ほどかかるのであれば、郵送する理由はどこにあるのでしょうか。そして、代わりにデジタルメールという方法が安心・安全・迅速であったら、使わない理由はどこにあるのでしょうか。北欧では、紙の書類や手紙は、少なくとも緊急性や信頼性を担保する情報伝達手段ではなくなっています。メールが法的書類として認められ、書類の認証がオンラインで行われるようになった北欧では、この20年で、手書きの手紙や手書きのサインよりも、送付者確認や開封確認などのデジタルトレースができるメールや電子書類の方が、迅速で、信頼性が高く、確実で正確であると、多くの状況下で考えられるようになりました。

郵便はもはや伝統文化

手紙がなくなることに対して、感情的な議論が巻き起こることもあります。手書きの手紙が消えていくと言うことに対する一抹の寂しさはどこの国でも共有する感覚なのかもしれません。年賀はがきの総数が減るように、デンマークでは、クリスマスカードの配達数も減っています。ただ、デンマークでは、郵送で受け取る封書が少なくなったとはいえ、全く消えたわけではありません。例えば、私は、年賀状やクリスマスのカードは、数量は減りましたが今でも郵送しますし、受け取ります。ただ、メールのない時代に戻りたいかと問われれば、戻りたくないいと答えます。情緒ある気持ちのやりとりは重要ですが、ビジネスやシンプルな連絡にメールやSMSやLineやWhatsAppは、やはり便利だからです。

これは、私の思いつきに過ぎないのですが…、手紙をなくしてしまうのは忍びない。だったら、無形文化にして郵政事業は文化庁の管轄にすればいい、そう考えています。

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