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あかんたれにいちゃん4

ドミノ倒し

兄が実家に同居するようになる前、私も含め家族にとっては厳しい状況が立て続けに起こった。スタートは私だった。勤めていた会社が取引先に騙され経営危機に陥った。会社のためを思って知人の会社にも籍を置かせてもらい、2足のわらじを履いていた。しかし恋同様、二股を平和に続けることは難しい。どちらが本命なのかと問い詰められることになり、結局、丁稚奉公の覚悟で転職を選んだ。
しかし、激務と慣れない環境下で心身ともに弱っていき、帯状疱疹を発症し、
メンタルダウン寸前の状態に陥ったが、崖っぷちだったこともあり何とか踏ん張った。

私がようやく暗闇から脱した頃、兄の離婚問題が勃発し、両親も巻き込まれてダメージを受けていた。そんな矢先、父が心不全による脳梗塞で倒れてたのだ。
なんとか一命はとりとめたものの、父は廃人のようになってしまっていた。
左半身付随・言語障害。さらに、もう一生口から食べることはできないと医者に言われ、胃ろうになった。母は不安に襲われ、慣れない介護とストレスによって介護鬱のような状態になってしまった。幸い、私が先に同じような状態を脱していたため母をフォローし、引き上げることができたのが唯一の救いであった。

父の介護でいっぱいいっぱいの母に、兄の負のオーラーが容赦なく襲いかかる。母は恐らくお金のことを考える余裕もなく、お金を貸してほしいと言われるがままに貸していったのだと思う。私も弟も父の介護の手伝いや母の相談へは全力で支援したが、母は兄にお金を貸していることは私達には内緒にしていた。
そうして月日が経っていったある日、私は両親の財産がなくなっていることに
気付いたのだが、その時の記憶はほとんどない。

両親の財産が底をつく

なぜ財産が底をついたのか。よくよく母に聞いてみると、貸したお金が一部返ってくることもあるが、貸す金額と頻度が増えていき、返してもらうはずの期日が延期されることが多くなっていったそうだ。結局、兄に問いただすと、下請け等への先払いがあり、お金が入ってきても自転車操業になってしまうとのことだった。私と弟は兄に対して事情聴取をし、返済計画を提出させたりしたのだが、仮に事業がうまくいっても返済には数年、いや十年ぐらいはかかる感じであった。

幸い父が現役時代にがんばって働いてくれたこともあり、年金で日々の生活はできそうだと思っていたのだが、母がカードローンに手を出しており、その返済が家計を圧迫していることが発覚したのだ。母はカードローンの額や借りている先などもすべて把握できていない様子だったため、借りている先と額を調べて私に教えるように言った。数日後、母がまとめたノートを見て愕然とした。完済するために必要な総額は、なんと300万円に近かったのだ・・・。

母を責めるのは筋違いだと思っていたが、さすがに黙っていたことに対しては
厳しく言わざるを得なかった。そして、なんとかなると考えていた甘い考えに対しても。老後の資金のことも含めて生活再建を図るためには、大きな打ち手が必要だった。父が車椅子状態になり、一軒家で暮らすのは不便であるということもあり、家族会議の結果、我々は実家の家を売却してマンションに引っ越す策を講じることにしたのである。

実家の売却とマンション購入

売却交渉やマンション購入については、私と弟が窓口となった。兄は仕事を理由に一切手伝うことはなかったが、関わってほしくなかったのでそれで良しとしていた。幸い実家は、都市開発が進む地域の中でも閑静な住宅街にあったため近隣のマンションを購入して、老後の生活を楽しむぐらいの金額で売却ができた。
慣れ親しんだ家だったので寂しさを感じたが、この家のおかげで両親を救うことができたと考えると感謝しかなかった。また、父をサポートする地域医療体制もそのまま継続してもらえる近場の中古マンションを見つけることもでき、家の売却とマンションの購入のどちらも順調にことが運んでいった。ようやく悪夢が終わり、両親の新しい生活が始まろうとしていた。これですべてがうまくいく。悪いことがあった後には、いいことが起こると言うが、それは本当なんだなぁ~としみじみ感じていた。
カードローンの返済も含めすべての精算が終わり、ようやく安堵の時が訪れると思っていたが、そう思えたのはわずか一瞬だった。我々が信じていた天使の仮面が突如剥がれ、そこに現れたのは、我々をあざ笑う悪魔だったのだ・・・。
                                 つづく

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