見出し画像

書き殴り② 渇望

「本当に自分は心理師になりたいのか?」
グルグルと巡るこの考え。本当になりたいのか。
眠剤の効いた頭で考える。

「心理師になりたい」

そう思ったのは高2。

大好きな大好きな心理師の先生が居たから。
先生に憧れて、心理師を目指した。
先生が居たから、先生に救われたから、心理学科を志望した。

初めて死にたいって伝えた人。
死にたかった私を生きる道に引き留めてくれた人。
私が生きることを職務上だとしても、望んでくれた人。

私の幸せだった。
会うのが楽しかった。幸せだった。

大学1年。
生きることが辛くて辛くて、楽になりたくて、ODして。
麻酔科の先生に打ち明けた。

返ってきたのは

「もうウチでは診られない」
「でも、OD辞めていつか来てね」

って言葉だった。
希望だった。
でも、その言葉は綺麗事だと、看護師さんの言葉で知った。

知った途端、私から希望が消えた。
麻酔科がダメなら、リハビリテーション科もダメだ。

もう2度と、心理師の先生には会えない。

苦しくて苦しくて、そんな中でも、日記帳の会話記録を、思い出を胸に目指してきた。

でも、ぼやけてきた。
思い出は色褪せた。色鮮やかではなくなってしまった。
楽しくも苦しい勉強を続けるのが、苦しくなってしまった。

そんな矢先の解離性(同一性も含む)障害。
ドクターストップ。

「本当になりたいのか」

「憧れだけで進めるのか」

「憧れは、夢を追う理由になるのか」

苦しい。なれるのか。なっていいのか。怖い。
なっていいの?私なんかが。



先生。

私は、貴女みたいに、なりたくて。
心理学科に、第一志望の臨床心理学ユニットに所属して。
先生。私は、貴女に憧れすぎましたか。
今でも大好きなの。今でも声も姿も覚えている。私を優しく包む言葉も。
「死なないで」
「生きて次も来て」
「雪希ちゃんが大切だから」
この言葉を胸にして高校生活を過ごした。
卒業してからも麻酔科の診察後に顔を出した。
笑顔で迎えてくれた。


だから、一昨年の夏までは生きられてた。
一昨年の夏。もう、先生の病院に行けない。優しかった先生は居るのに会えない。


そう分かった時、死が明確な形を持って私に迫ってきた。
夢もぼやけた。

私が生きていたのは、

「先生と一緒に働きたい」

無理な目標だとしても、それを目標にしていた。

無理ってわかってた。
それでもそう思わなきゃ生きられなかった。

少し経った今、
「私なんかが、憧れで目指していいの?」
「先生みたいには、わたしはきっと、なれない」
そう思うようになってきた。

休学期間。
毎日思う。
「私が目指してもなってもいいのか」

そんな時に、友達の実習志望動機書を読ませてもらった。
凄かった。
なりたいという強い意志を感じた。

1年前の私なら書けた、意志の強い文章。
今はもう書けない。

なっていいのか分からなくて。分からなくて。

友達への憧れ。羨ましいという感情。
私も、そんな文章を書けるくらいの熱力を持ったままに生きたかった。


憧れだけで目指すのは、無謀だったのか。
分からない。分からない。

4月からが怖い。
目標を見つけなければ。


先生との思い出を胸に、もう一度、走れるのか。
もう一度走りたい。

胸を張って、「心理師になるのが夢です」と言えるようになりたい。

そんな意志を渇望している。
友達のような。
そんな、意志。かつての私にもあった強い意志を。

その意思が原動力になったら、私はもう少し幸せに、生きられるのではないか。


生きたいと、学びたいと、思うような、そんな希望。


そんな、希望を、強い意思を、渇望している。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?