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風間くん どうしてるかな

元ブログより 2014年04月14日に書いた記事、ほんの少し加筆して載せます。皆大人になったでしょうね(笑)。


クレヨンしんちゃんが好きだ。作者が急逝してからは、トンとご無沙汰だが、それまでの単行本は全巻ある。

しんちゃんのアニメと息子娘の育児が被っている。

乳幼児がいると、テレビを見るにしても子供向けになる。
今と違って携帯もパソコンもそこまでポピュラーではない。
ビデオを借りたりはしても、普段は教育テレビとおかあさんといっしょ、あとはアニメである。
子供といっても好みはいろいろで、娘はセーラームーンには見向きもしなかった。
息子は戦隊ものにハマっていたが、レンタルビデオで見たウルトラマンシリーズの、初期のもの(ウルトラマン、ウルトラセブン、帰って来たウルトラマン)あたりの怪獣は全部覚えたりした。

兄妹とも好きだったのは、ピングーと初期のポケモン、アンパンマンについては
「いつもかおがよごれるんだから、ぱんもってあるけばいいのに」
と同じことを言っていた。

NHKでは
「つくってあそぼ」

「わくわくさん」
が好きだった。
そこらにあるしょうもないものを使って、色々作る。

子供らも目を輝かせて見ている。

この母はその様子を見て
「むふふ、高価なオモチャは買うことがないぞ」

手作りを試みるものの、ワタシがわくわくさんになってわくわくさんの真似をして作ると、なぜか似て非なるものになった。
だいたい、いざ手をかけると、けっこう切り貼りだの面倒だった。
刃物の類も、ヨチヨチ歩きの娘には特に危なかったりする。

「そこ危ないよ」
「痛い痛いになるよー」
よそ見しながら、自分の手を切ったりする母であった。

「もしかしてワタシは不器用なのだろうか」
認めたくない母でもあった。

今のように
「公園デビュー」
だの
「ママ友」
なんて言葉もなかったか、気にもしなかった。テキトーな場所にある公園で、何となく顔見知りになったりする。
子供が親しくなると、親も込みになる。
ワタシは
「預けっぱなし」
というのに凄く抵抗があり、小さい子供たちを互いに守るべく、親同士も仲良くなりたいタイプであった。

子供たちは2人とも3年保育で幼稚園に入れた。
似た者同士が仲良くなり、幼稚園バスはあるのだが毎日のように
「今日はウチに」
「明日はそちらに」
子供を家内で遊ばせ、見守りつつ、お茶をすするという、母親にとっても憩いの時間であった。

息子は、しんちゃんでも、風間君でも、まさおくんでも、ボーちゃんでもなかった。
彼が友達とケンカして泣くとか、誰かを泣かせるとか、そういうのは本当に見たことがない。
羊飼いのペーターが一番しっくりくるかもしれない。
心優しいというか、親に似ず穏やかな子であった。
足手まといの妹も邪魔にせず、一緒に遊ぶ。
娘はハイジもどきである。クララのようなスタイルは決して似合わず、パンツ一丁で走っているのが似合うのだった。
息子のカラミでふたつ上の友達がたくさんいて、兄の後に幼稚園へ行くようになると、年長組の友達の方が多かった。

息子の友達に風間君そっくりな子がいた。なので、以下「風間君」として話を進める。
お母さんは躾に大変厳しく、お父さんは某製薬会社のエリート社員だった。

その子の家にもよく呼ばれてお邪魔したものだが、お母さんの目はいつも厳しく、2歳.3歳児にもオトナ口調で話す。

誰かの悪口を言う人ではなく賢明な人であったが、お母さんの厳しさに、「風間君」
が涙目になるのはしょっちゅうで、反動は幼稚園で発揮されていたのは無理もない。

ウチや、よそであそぼという事になると俄然張り切り、帰る時必ず涙目になるのだった。

ある日、ウチで遊んで、そろそろ夕方という時
「風間くん、明日お休みだからRクンちにお泊りする?」
と言ってみた。
すると、
「もう帰らなければならない」
という涙目が、みるみる輝いた。

風間君のお母さんにその旨話すと、意外にあっさり
「じゃお願いしようかしら、すみません」
という事だった。

その後の風間君はハジケまくった。
嬉しさをどうやってこのワタシに表現したら良いか、わからないのだった。

折しもその日は金曜日だった。
当時も今も
「子供に見せたくない、見せてはいけない」
という事になっているそうだが、ウチでは
「クレヨンしんちゃん」
は、子供よりもワタシが楽しみにしていたのである。

みさえの鬼嫁加減や、反面優しさだの、体を張って子供と向き合うだの、ひろしのダメ加減だの、でも、単純でいい父ちゃん振りだの・・・いやいや説教臭いことは抜きにして、
「わはははははは」
と、何も考えずに吹き出すのがワタシには合っていた。

ドラえもんが終わるとしんちゃんになる。その時風間君が言った。

「R、テレビけさないとだめだよ」
「つぎ、しんちゃんだよ」
「おまえんちはしんちゃんみていいのか?」  ←口調も風間君である(笑)。

「なんで?しんちゃんみるデショ」

風間君はカタマッタ・・・。
そしてワタシにこう言うのだ。

「おかあさんにいわないでください・・・」

怯えた目をしていた。

そうか、風間ママは、ワタシとはやっぱり違うんだな。
それぞれの考え、子育てがある。
ワタシは臭いものに蓋をしてごまかすのは性に合わないだけであった。
キレイごとを言ってもしゃあない。

「言わないよ」
「みていいんですか?」  ←やっぱり風間君口調。
「見なさーい」

台所を片付けていたワタシの耳に、風間君の大笑いが何度も聞こえた。
テレビではなく、風間君が笑っているのを見て、息子と娘が笑っている。

なんだか、ほろっとした。

翌日、風間君は夢が覚めてしまったような顔をしていたので、息子が言った。

「かざまくん、またとまりにきてね」

「うん」

風間ママが手作りクッキーを持って迎えに来た。息子のいない夜、何を思って焼いたのだろうか。

後日、風間ママからギクッとするようなことを言われた。

「この前泊めていただいたとき、しんちゃんのテレビ見たんですってね」「あー、ウチでは見てるからね。悪かったかな」
「リュウイチ(風間君)ったらすごく嬉しかったみたいで、いつもなら私に叱られるから言わないのに、お泊り楽しかった?って聞いたら、もう、Rクンとお風呂に入ったとか、しんちゃんのテレビ一緒に見たとか、テレビの事言った時、ハッとして私の顔色伺うのよ…、なんだか…ウチでも見せてもいいかなと思ってるわ」

その後ほどなくして我が家は引っ越しすることになり、お別れパーティーを何度もしてもらった。風間君やたくさんの友達ともさようならをした。

あれから何年になるだろう。
転居後しばらくして、ワタシは原因不明の体調不良に次々襲われ、精神も病み、トドメが癌だった。

不眠に悩まされ仕事も辞めてしまった時期、長くつらい夜に、クレヨンしんちゃんの漫画を読んでやり過ごした。しんちゃんを何も考えずに読みふけって、やがて夜明け頃、一時だけすうっと楽になる時間があった。

風間ママとはその後も年賀状のやり取りは続いているが、あの時の風間君は今どうしているだろう。

クレヨンしんちゃんの風間君の様に、エリートの道を進んでいるかな。
しんちゃんを見て何か誤ったほうに進んだのだろうか?

ふふふふふふ(笑)。

どこかで会ってみたい気がする。


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