京扇子
わたしは高校の修学旅行に
行かなかった・・・行けなかった・・・。
行き先は京都奈良方面。
その日程と訪問先を見て父が言った。
「仏罰が当たる」
母も同調した。
両親はある宗教の幹部だった。
他宗は認めないという、要はその宗教の教えこそが絶対真実。
続けて言った。
「そんな邪宗の寺巡りしたらどんなことになるか」
・・・・
・・・・
17歳のわたしは思った。
理由はそれだけじゃないんだろうな・・・
父は当時入退院を繰り返していた。わたしが旅行に参加する費用も勘定するほど、大変だった時期でもある。
更に宗教。財務を納め、新聞など発行物も母と二人分、同じものを購入。
田舎の小学校用務員には荷が重い。
それでも母の病がきっかけで入信した二人は、盲信とは言わなくとも、宗教にすがり心の支えではあったのだろう。
だから、私がそういう場所に行けば、自分たちも具合が悪くなる・・・。
お金と宗教の教え・・・親にしたら充分な理由だった。
もとより入学時から旅行積み立てなどしていない。
結局わたしは体調不良ということにして参加を見合わせた。
親もそのように学校に言ったようだ。
わたしは欠席扱いとなった。
登校したって同級生はみんな出払っているのだ。
家にいてもつまらない。しかし欠席扱いだから外出もできず、時間を持て余すばかり。なぜ私だけがこんな目に?
旅行に行けなかったわたしを、親が気遣うということも一切なかった。
旅先から友達が毎日速達にして便りをくれた。
みんなで寄せ書きをしてくれ、体調不良ということだから心配もしてくれた。
邪宗の寺回りをしているはずの友人たちの便りは一様に明るく元気で、楽しげな文字が踊っていた。
わたしは便りが素直に嬉しかった。
お小遣いを出し合って、皆がグループごとにお土産を買って来てくれた。
申し合わせたように京扇子。
「これが似合いそうだと思って」
皆そういって渡してくれた。
派手なものでなく、淡い色に花を散らした模様のが多かった。
ほのかに白梅香の香りがするものもあった。
反対していたくせに母がひとつ欲しがった。
わたしの留守の間にちゃっかり自分のバッグに入れて使っていた。
旅先で、誰ひとり体調を崩した友達はいなかった。
わたしだけが呪われるのだろうか。
それはどうしてなのだろうか。
思ってもわたしは親に言わない子供だった。
長じて結婚し、私は宗教から離れた。
子供を授かり、やがて歳月が過ぎ、娘が高校生の頃、彼女が行くのは広島京都大阪だった。
「おみやげ八ツ橋でいい?」
そうね・・・食べ物は要らない。
旅の間、娘は折々「とても楽しんでます!!」とメールを寄越した。
扇子の件については、一度だけ話したことがあった。
彼女からのお土産は・・・京扇子だった。
私の代わりに娘が行ってきた。娘に昇華してもらったと思った。
数日前、池田大作が死んだという。
その時までわたしの心に厭らしく刺さったままのトゲが、すっと消えた気がした。
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