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ある夫婦のこと

元ブログより 2019年06月27日の記事を若干加筆修正して載せます。「児童公園」は「紙芝居のおじさん」と同じ公園です。

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遠い昔のこと。

近くに児童公園があり、いつもそこに走って行っては遊んでいた。
ある時、同い年の子と知り合い、そこで会えばなんとなくくっついて遊ぶようになった。
リョウコちゃんといった。
気の強そうなしっかりした顔立ちの女の子。

幼い同士だから会話といっても子供のおしゃべりだ。
べたべたするでも、喧嘩するでもなく、いつも会えば遊ぶ、そんな間柄だった。
リョウコちゃんの両親は目が悪かった。
お父さんは全盲だったと思う。
サングラスのようなメガネをかけ、白い杖をついて、一歩一確かめるように歩いているのをよく見かけた。
お母さんも明るさ程度はわかるようだが、見えていなかった。
リョウコちゃん普通に見える子だった。

リョウコちゃんの家は公園そばのアパートで、一度だけお邪魔したことがあった。目の悪い両親は、どちらも仕事をしていていつも留守なのだが、その日はお母さんがいた。
お母さんは、私が入る音を聞いて、私のほうを向いてにっこりした。
目がくぼんで閉じたままなので、ああ、やっぱり見えないんだと思った。が、私は驚いてしまった。
綺麗に片付いたごくごく普通の部屋。
電化製品も、家具も、つつましいながらもきちんと揃っている。
目を瞑って歩くことの怖さを遊びの中で知っていたから、どうやって暮らしているのか、幼心にも疑問だった。
なのに、お母さんの手は見えているように的確に物を掴む。
電気釜を持ち、台所に立つ。
よく見ると確かに手探りではあるのだが、普通に米びつから米を計って釜に移し、研ぎ始めるのだった。

「すごいなぁ」

声には出さず感動した。子供というのは残酷なものである。目に見える自分たちとは違う変わった形のものに対して悪気はなくても、素直に酷い言葉を吐く。が、わたしは嫌悪感を感じるどころか、リョウコちゃんと遊ぶつもりでお邪魔したのに、お母さんの動きに魅了された。

いつごろまでリョウコちゃんと遊んだのかは思い出せない。

学齢期になり、学区が違うので、それぞれ違う学校へ入った。
時々道で、リョウコちゃんと彼女のご両親にも会ったが、いつもきちんとした身なりで、杖と、ゆったりした歩みを除けば普通の夫婦、親子だった。

遠い昔のこと。

あの辺りの道は、広くて、車も殆ど走らなかった。

リョウコちゃんをどうやって育てたのかなど知る由もない。ただ、わたしは小さいながら、目が見えない不自由さとともに、だからといって何もできないわけではないんだとつくづく感じ入った。何よりリョウコちゃんの生まれる前からあの夫婦は、互いが支えとなり、労わりあい、
助け合ってきたんだろう。
見えないからこそ、研ぎ澄まされた感覚や知恵や工夫があったんだろう。
それが完璧かどうかは知らない。
周囲の目も温かいものばかりではなかったと思う。
が、悲壮感などなかった。
それを感じさせない力強さがあった。

その後、一家はアパートを出て小さい家を買い鍼灸院を開いた。

何年も過ぎて、リョウコちゃんが嫁いだという話も、風の噂に聞いた。

わたしは幸い目も耳も聞こえる。
当たり前のように思って、普段意識もせずに暮らしている。
でも、見えていないものの多いことよ。

綺麗なものも沢山見えるけれど、見えるから欲も出る。
汚いものも見えてしまう。

誰が、どちらが幸せと言う話ではない。

あの日、リョウコちゃんのアパートを出るとき、窓越しの夕日に照らされたリョウコちゃんのお母さんの顔は、優しく満ち足りて見えた。

遠い昔の、それでも鮮やかに思い出す光景のひとつだ。

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