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トキちゃん

トキちゃんは元気だろうか。

彼女を知ったのは小学1年の時だった。

わたしは産まれてから小学校に上がるまで、伯父伯母に可愛がられ、大変便利な街中に住み、貧しくとも文化的な生活の中育ったので、親元に戻され通う小学校は未知の世界だった。

そこは熊が出る、夜は街灯もろくに無く、灯りを消せば漆黒で、時折近くの家で飼っている牛が鳴いたり、鶏が鳴く純粋な農村地帯であった。
入学してすぐ、わたし以外の子が講堂に集められ、シラミ駆除の殺虫剤を頭にかけられていた。私はその間教室で待つよう言われ、それもかなりきつめに
「来てはダメですよ」
と担任の先生が釘を刺す。
一人ポツねんと待っていて、しばらくすると頭が白い粉にまみれた子たちが、神妙な顔で一列に並んで戻り、その日はずいぶん皆おとなしかったと記憶している。
信じられないと思うが、昭和の終わり近くても、当時の寒村はそんなだったようだ。

どこもきょうだいが多く、一人っ子はわたしだけで、持ち物も着るものも貧乏なわたしの家よりももっと貧しい子たちばかりだった。

半面、わたしの知らない様々なことを知っていた。
食べられる木の実だとか、蛇の名前だとか、冬は橇の代わりに、農業飼料の袋を使って遊ぶ、だとか、鼻水は袖で拭く、だとか・・・・

ものがなくても空腹でもおおらかに泣き、笑い、遊ぶ同じ年の子供たちがすぐ大好きになった。

色々な子がいた。その中にトキちゃんもいた。

トキちゃんは上にきょうだいが何人もいて、下にもいて、真ん中あたりの一番目立たない、学校でも大人しい子だった。

おねえちゃんが中学を出て隣町の蕎麦屋に働きに行ったとか、家がとても古くて風に飛ばされそうだとか、そういう話を他の子たちから聞いた。

わたしはそこの小学校を1年で転校したので、次にトキちゃんに会ったのは中学がたまたま同じだったからだ。
トキちゃんは小学一年の面影そのままに小柄で大人しく、勉強もできない子だった。

リーダーを読めと当てられても、黙ったまま立ちすくんでいる様な子だった。

わたしは彼女に特に興味もなく、ただクラスが一緒で、アイウエオ順だと、彼女がわたしの次なので、整列の時、近くにいるといっただけだった。

彼女から何故か夏休みに暑中見舞いが来た。特別話したこともないので、どうしてだろう?

中学になっても幼いままの彼女の
字を眺めて、とうとう返事は書かなかった。

何と書いたらよいのかわからないという感じだった。

次に年賀状も貰った。何気なく別の子に聞くと
「わたしにも来た、けど返事書いてない」

皆似た様に戸惑い、見ぬふりして棄てていた。

たどたどしい文章は、彼女が鉛筆を舐め舐め書いたであろう必死さと、少し汚れが目立った。残酷な思春期である。例えが悪いが、
「影が薄くて幸薄い」
のがトキちゃんだった。

彼女の家庭がどうだったかは知らない。親の顔も見たことがない。

中3の時の修学旅行は、北海道だった。トキちゃんはわたしの班になった。が、わたしはとても仲良しのMが同じ班だったので、その子とばかり行動し、トキちゃんはもう一人の子、Fちゃんの指図で後から黙ってついてくるだけだった。

2日目の朝である。

「もう、なんなのよ!」

トキちゃんに嫌みたっぷりに言いながら、引率の先生のところにFちゃんが走っていく。

「どうしたの?」
「トキ子の顔見てよ!」

修学旅行の少し前、学校で風疹が流行った。トキちゃんが旅行中にそれを発症したのである。

わたしとMは
「大丈夫?無理しないで具合悪かったらバスの中で休んでる?」と、一応優しい言葉を言うのだが内心自分たちもうつったら迷惑というのが本音だった。

旅行中撮った写真はどれも、皆が笑っている中でトキちゃんだけが少しだけ離れて遠慮がちにうつむいて、体調も悪そうにしているのだった。

「なぜ、いつもトキちゃんってこうなんだろう・・・」

「可哀想というより、幸薄いって本当にぴったりだよね・・・」

「でも、旅行中に発症したのが自分じゃなくて良かった・・・」

トキちゃんはいつも、何も悪くないのだ。旅行後、誰もうつった子がいなくて、わたしはトキちゃんの為にホッとしたことを思い出すが、それは自分のキモチの都合での話であったことを今も恥じ入る。

わたしたちの学年で、中卒で就職する子は、トキちゃんだけだった。
トキちゃんは、中学を出てお姉さんたちと同様、そこらへん、で働いた。

相変わらず夏と冬に葉書を貰った。少しずつ字がしっかりし、文章も上手になっていくのが見て取れた。
ある夏の日、いただいた暑中見舞いに、返事を書いた。
ただの気まぐれで、次は書かないだろうと思いながら、ポストに放り投げるように入れた。

すると
「とてもうれしかった。はじめて返事もらった」
と次の葉書に書いてあった。

トキちゃんと次に会ったのは33の年祝いである。風の噂には聞いていたが、彼女は18で嫁に行き、子供を産んだ。
幼い姿のままだったトキちゃんは、わたしよりずーっと先に、大人に、女に、母になって歴史を刻んでいた。

農家に嫁いだそうだから沢山働いてもいるのだろう。手でわかった。

彼女にしたらお洒落をしてきたつもりだっただろうが、その、ややふくよかな体にまるで男が着るようなジャケットは似合っていなくて、トキちゃんはやっぱりトキちゃんだ…と変な納得の仕方をした。

賑やかな会場でポツリポツリ近況を話す。思えば彼女と個人的に面と向かって話すのは初めてのことだった。世間慣れしたのか、ほかの人にも笑顔を向けている。

わたしは詫びを込めて言った。

「何度もお便りありがとうね。家を離れてから頂いたのも知らなくて、失礼してごめんね」

トキちゃんはにこにこして首を振った。

「でもなんで?」

わたしは積年の疑問も口にした。トキちゃんの答えはこうだった。

「わたしはTちゃんに、うちのねえちゃんたちは、Tちゃんのお父さんにね、やさしくしてもらったんだよ」

・・・

・・・・

そうだったのか。

父はトキちゃんやトキちゃんのお姉さんがいた小学校の用務員だった。
父が優しくといっても特に何かをしたわけでもないだろう。
ただ、トキちゃんきょうだいは、わたしの父がしたこと話しかけたことを優しさと受け取ってくれていたのだった。

わたしはもう何も言えなくなり、黙って顔を見るだけだった。


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