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人生は停まることもあれば、また動き出すこともある

息子の日本への体験入学記の途中ですが、下の子どものまるちゃんがまだお腹の中にいた時の記事を挟みます。(この7月、二回目の体験入学も行ってきました^^近々、まとめ記事を上げたいと思います)

※この記事はバイリンガル育児の内容ではなく、私達家族の記録です。

その日、夫と息子のユウと私とで、ソヘ(西海)の方にドライブに行きました。暖かい時期には潮干狩りをしたり、テントを張って楽しむ人で賑わう海岸ですが、春と言ってもまだ肌寒く、人はまばらでした。海はきれいだったけれど、強い風がびゅうびゅう吹いていました。

私たちはモコモコのアウターを着込んで、こんなに風が強いのに外に出る?でもまるちゃんが生まれる前に行っておかなくちゃ!という気持ちで、海ラーメン(海を眺めながらカップラーメンを食べる、夫と息子の大好きなラーメンの食べ方。海ラーメンと川ラーメンがある)を食べたり、熱々の海老の揚げ物を頬張ったりしていました。

パパが砂浜に大きく동글이(まるちゃんの胎名の韓国語。意味は丸ちゃん)と書いたり、ユウがひらがなでまるちゃんと書いたり。海をバックに写真を撮って、赤ちゃんが産まれる前に3人で遠出する最後の機会を楽しんでいました。

さぁこれでもう思い残すことはないね、という気持ちで車に戻ろうとした時。ユウが大きくも小さくもない声で、こんなことを言いました。

「だけどさ。僕たちって、本当は四人兄妹なんだよ。僕が一番上、その次に二人、一番下がまるちゃん。そうでしょ?」

それを聞いて、時が停まったような気がしました。息子が2才だった、夏の終わりに一人。翌年の冬にもう一人。お腹にやってきた子どもたちがいたけれど、人の形に育つ前にいなくなってしまいました。

その時は悲しいというよりもぽかんと心に穴が空いたような喪失感で、日常生活を送っていても、ちゃんと生きている感じがしませんでした。子育てと仕事、生活を回すのに必要最小限のエネルギーだけを使い、冬眠状態に入ったような…。

豊かな感情は檻の中に入れて厚い蓋をし、明かりも漏れないように厳重に鍵を締め、その日その日を過ごすことに集中しました。表面上はうまくやっている、きっと誰にも分からない。そう思って暮らすうちにそれが普通になり、鍵をかけた部屋のことも、その奥にある何かのことも、忘れかけていました。

「そうだね。そう言ってくれて、ありがとう」

息子とお腹の子の年の差は7年で、その子を授かるまで、ユウを一人っ子として大事に育てれば良いんじゃないかという思いと、小さな子をもう一度産んで育ててみたいという気持ちの間で揺れ動いていました。治療をできるところまでやってみて、それでもダメならもう縁がなかったと諦めようという、本当に本当のラストチャンスのその時にやってきてくれたのがまるちゃんでした。

うちの子は二人。母親の私ですら、無意識にそう思っていたのです。

だけど本当は、12週の雪だるまのような形にすら育たなかったとしても、お腹に来てくれた子どもがいたことを忘れたくない気持ちが心の奥の方に眠っていました。

もう、鍵を開けてその気持を認めたとしても、悲しみに襲われてしゃがみ込んでしまうことはありませんでした。

ただ、お腹の子どもを亡くした直後、公園で遊ぶ息子と友達を眺めながら、彼ら一人一人がちゃんと生まれるくらいにまで育ち、無事に産まれ、そして公園で走り回れるくらい元気に育っているということがどれだけ奇跡なのかという事実に圧倒された昼下がりがあったこと。

いなくなった子のためにデパートでプレゼントを買って、屋上で一人お別れをした日の虚しさ。

そんな記憶が蘇りました。

6才だった息子の言葉は、悲しみでも喜びでも気遣いでもなく、ただ事実を伝える淡々としたものでした。短い時間だったかもしれないけれど、顔を見ることも叶わなかったけれど、「うちの家族」にはその子達がいたという事実を、ただ当たり前に受け入れている言葉です。

それが、固く閉じた感情の扉を開ける鍵になりました。

空と海の間で、深いところに沈んで見えなくなっていた心の澱が浮き上がり、海の流れに乗って消えていくような感覚がありました。

そしてお腹にやってきてくれた四人目の愛しい子として、まるちゃんをお迎えする心の準備が整いました。

それは、二回の喪失の経験から、どこかで停まったままになっていた私の人生が、また時を刻み始めた瞬間でした。

今はあれから2年半ほどの時間が過ぎ、ユウは9歳、まるちゃんは2歳になりました。私達を帰国から遠ざけていたコロナによる規制も落ち着き、ユウは日本の学校を体験することもできました。「まるちゃんが産まれて、大きくなったら結婚したい!だってママよりも好きな女の子だもん!」と言っていたユウでしたが、今では毎日寝る時にママの隣を取り合って喧嘩を繰り返すように…。

今でも時々、ユウは「あのさ、ぼくとまるちゃんの間にいた子って、名前なんていうの?」とか「ぼくが何才の時だったの?」と聞いてくることがあります。その度に質問に答えながら、そんな話が普通にできることが、嬉しいなと思うのです。

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この話は悲しい内容を含むので、以前書いたもののアップロードを控えていましたが、つい先日、親しくしていた友人に起きたことを聞いて、「人生は停まることもあれば、また動き出すこともあるよ」というタイトルのメッセージを表に出しておきたく、アップすることにしました。

人生には色々なことが起きて、そこにはそれまで経験したこともないような悲しさや苦しさも含まれます。そんな時、日々を過ごしていくために心に鍵をかけることはどうしようもない選択だったりします。

感情の鍵をかけると、毎日の暮らしを回すことはできますが、生活が色を失います。喜びが喜びでないような、非現実的な、それまでの自分はもういなくなってしまって、抜け殻として生きているような…。

それでも、ある日、いつかは、風景が色を取り戻し、自分の人生を生きている感覚が戻ってくることがある。前の自分とは違うけれど、悲しみも喜びも感じることができる時がまたやってきます。

その時までは、殻に入って、毎日を生き延びる。そのことだけに集中してもいいと思うのです。

言葉にならない想いですが、自分が感じることができなくても、愛に包まれていた。私は生かされていたんだな、と、今になって感じます。

あなたにも、その時が訪れますように。


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