あおぞらrag

文章を書いてみたいと思います。 特にジャンルはありません💦 また、やろう。 ここから。

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最近の記事

歳の取り方イロイロ。

卒業とか入学の時期、とにかく春になるとよくラジオやテレビから流れてくる歌がある。 そのなかでも私の心に引っ掛かる歌のひとつが「手紙~拝啓十五の君へ」だ。 これを聴くたびに冷や汗をかき、ゾッとしながらいろんなことを思い出している。 そのほとんどが後悔ばかりだという情けなさだ。 勉強や部活などもっと頑張ればよかったなどというありがちなことから、 いい大人になってからのあれこれ、つまりいまの行き詰まった事態に対する言い訳じみたことばかりだ。 アンジェラ・アキの声を聴くたびに、 十五

    • 己を守れ、バカになれ。その四

      初めて利用者の死と遭遇した頃、 NHKで「お別れホスピタル」というドラマが始まっていた。もう完結したのだがつい先日録りためていた全4話をやっと見終わった。 末期や行き場のない患者が過ごす療養病棟の日々を綴ったドラマで、 見慣れた役者さんたち、それもみていて安心できる、力のあるかたたちに囲まれてヒロインの岸井ゆきのが彼らの演技に見事に応えた良作だったと思う。 なかなかにシビアな場面が連続していて見終わって重たいものが心に沈んでいくようだったが、まずは岸井演じる看護師の辺見が寒

      • 己を守れ、バカになれ。その参

        その日。 いつものように掃除用具を車に積んで出かけた。 前の週の退出時次回の訪問の確認はしてあった。その時顔は見せてくれなかった。 「ちょっとお顔だしていただけますか?」との問いかけに 「いいえいいです」 「なにかお困りのことはございませんか」 「ありません」 「体調はどうですか?何かあったら連絡ください。」 「はい」 次の週行くとドアには鍵がかかっていた。 もとより玄関の鍵は預かっていない。 呼び鈴をおす。 こえをかける。 返事はない。 おでかけ?散髪とか…。 倒れている

        • 己を守れ、バカになれ。その弐

          毎年その人の住まいの庭は季節ごとの顔を見せる。 印象にあるのはくちなしやキンモクセイの香り、たわわなるみかん。 植え込みはたぶん職人が入っているのだろう、よく手入れされていて最初の2年はほとんど荒れている印象はなかった。 そのうち独居となってから相談支援室の依頼で週に一度洗濯とトイレと風呂の掃除を任された。 しかし庭の方は手配する人もなくみるみるうちにまとまりを欠いていった。 花壇には雑草があふれ、見たこともない大きくてカラフルな蜘蛛が巣をはり私を出迎えた。 乱れた芝生、枯

        歳の取り方イロイロ。

          己を守れ、バカになれ。その壱

          私の仕事は障害児者の訪問介護士。 ここ3年精神に障害がある方40代の方のサポートをしてきた。 人生で初めて担当した利用者だ。 最初の頃はまだその人は家族と暮らし、 まずまず人並みの暮らしをしていた。 自室で過ごしてはいるものの食事は家族ととり、美容院にも出かけ、風呂にも入る。 精神科で診察も受けていた。 私の役目は当初は診察に付き添うというものだった。 月に一度の通院。 コロナウィルス蔓延時期だけに様々なことに気を遣わねばならなかった。 マスク、検温、消毒。 乗車前のそれら

          己を守れ、バカになれ。その壱

          平和教育のこと。

          原爆資料館が大盛況とのニュースを読みました。 資料館と聞けば少し心がざわざわすることがあります。 なにか無性にしゃべりたくなってしまったので一筆(?)。 私が昔々まだ小学生低学年だった頃、 平和教育の一貫として戦争や原爆被害そのものの映像をみていました。 あまりに衝撃的な内容でした。 それからというもの資料館や「はだしのゲン」などはとるに足らないものとなってしまったのです。 そして自分のそういった感性は結構恐ろしきことだという思うようになりました。 というのもその映像経験

          平和教育のこと。

          帰路

          冬の商店街 ひとりあるく 気になった店にはいり 気まぐれに物色 好きなものを買い つかれたらカフェにはいり またひとりあるく 我が家にいる やすやすと外へ出られない娘 と のうのうと外を歩きたくないおっと わたしはひとりやすやすと のうのうと おのれの目的を無意識に果たす 帰り道 商店街の景色は無機質に 迫り来る我が家 夫からの 娘への批判は聞きたくない 娘からの 夫へのいらだちは聞きたくない だんだん足がざわざわと 頭の中がごわごわと あ、そうだ 帰ったらふた

          重たい荷物

          未就学児は親と共に は、最近のしばり  あの頃は放りっぱなしの子どもたち 遊んで遊んで夕暮れ あの子のじいちゃんが迎えに来た あの子だけ連れてって ここで待ってろよお前も送ってやるから まずこいつを家に連れて帰るだって でも じいちゃんもどってこない 待っても待っても そして 一人で真っ暗で帰る毎日 がんばってがんばって いじめはよくありません みんな仲良く は、今も昔も言葉だけ連呼だけ 帰ったら遊ぼうよ 小2の五人 あの子の家で集まろう 遅れるなみんなで一緒に、に

          note

          何かが伝えられると思った 日記ではなく つぶやきでもなく なんでも話せる存在のように リミッターがかかるのは なぜなんだとなんど書いても不思議 かっこよく クールに 自分を突き放して遠目に眺めて 指先で自在に並べ替え厚みをつけて でも そうはうまくいかない できたものを見返してちよっとブザマ ワルクチ 嘆き 後悔 いいわけ 口撃 だけで その後どうするか 結び目がないからまた、 もとへともどってんじゃ おなじとこでつまづき リアルでも繰り返し いいじゃないか 立て

          沼から出てもよいし

          自分の過去を整理するために色々書いてみました。 まだまだ習慣になっている程でもないけれど、よく読んだら似たようなことを書いている気がします。 そして書けば書くほど姉がなくなったとき、母の病んだ姿、自分のふがいなさが思い出されどんどん心に固くて重いものが沈殿していく気がするようになってしまいました。 父に叱られたり、叩かれたりしていた母の姿。 向精神薬を服用し続けたあまり表情が乏しくなり言葉も不明瞭になってしまった姉のこと。 バカらしいと思いつつ、現場にいたわけでもないのに、

          沼から出てもよいし

          ちぢむ人への思い

          再度自らを確認しておこう。 私は母にたいしてなにもしていない。ただ帰省のたびに脳の萎縮そのものを体現していく母のからだの変化をみていたにすぎない。 母の様子がおかしいと周囲が騒ぎ始めた頃、私の勤務先の近くの大学病院へ母の主治医に紹介状を書いてもらい、 まだ一人で電車に乗れた母と待ち合わせして連れていったことはある。 問診をして脳波を撮り長谷川式をやり それだけのことで診断は確定された。 私たち家族は何をしたらよいのか? これからどうすればよいのか? 医師に質問をしたが、 「

          ちぢむ人への思い

          狼がくるぞ

          まともにSOSがだせるなら。 それを丁寧に受け止める人が悩める人のネットワークのなかにひとりでもいたなら。 私ももう還暦間近。 30年近く前の身内の死などいいかげん人生の1ページとしてヒモで閉じてしまうべきなのだとは思う。 しかしいまだにそのページは穴開けパンチで2穴あけたはいいが綴じ損ねてひらひらと床を舞ったり、ピンナップよろしく壁に貼ってみたり、折りたたんで封筒にいれて机の引き出しにしまってみたりまた出してみたりと所在なくとっ散らかっている。 それはひとえに姉のこの死が

          ちぢむひと

          姉の死の遠因の1つになった母の病について思い出してみようと思う。 35年くらい前、母はアルツハイマー病と診断された。 私は実家から2時間ぐらいのところで一人暮らししていたから断片的にしか把握していないが少し書いてみたい。 母が仕事を早期退職するきっかけとなったのが重度の更年期障害だったらしい。 自宅にいるようになってからうつ状態のようになり 今まで楽しんでいた読書、音楽鑑賞、親戚や近所の人とのおしゃべり、畑仕事、鼻唄までも生活から消えていった。 買い物も心もとなくなった。

          最後の選択肢

          27年前の春、姉は死んだ。 とある金曜日の午後8時すぎ、従兄弟からの電話で姉が瀕死の状態だと聞かされた。 2歳になったばかりの娘は昼間の三輪車遊びが効いたのか、今にも眠りそうだ。 夫は少し遅くなると一時間くらい前に連絡があった。 テレビではmusicstation。安室奈美恵の声が生き生きと響き、週末を盛り上げてくれている。 明日は何をして遊ぼう。家族3人どこへいこう。夫はまた愛車ををいじる気かな。 母屋の義父母が孫娘を連れ出そうと画策しているかな。いや、結婚間近の夫の妹

          最後の選択肢

          こころのなまえ

          朝の気分、考えること、体の状態。 カウントしたことはないのですが眠るまでにいったいいくつの変化があるのだろう? 仕事がしっくり完了したり、良い知らせが届いたり、他人や家族とうまくコミュニケーションをとれたり。 様々な正の状態、感情はもちろんいくつかあります。 しかしながら負の状態がことさら目立ってあるように感じ振り子のように感情がいったりきたり。しかもそれがあまり表に出ず心のなかでうごめいています。 それでもなんとか今は日々の暮らしを維持しています。 およそ16年前、娘の

          こころのなまえ

          はじめまして。

          アラ還、♀️、弱小企業社長、病み家族もちでなんとか生きています。 近頃、朝の気分がコロコロ変わり困っています。 昨日は飛び起きて走り回って朝の支度をしました。次々にミッションをこなして無事仕事スタート。 ところが今朝はタイマーがオンしたテレビに起こされたのに30分もお布団でごろごろ。 頭のなかはこの先どおなるんだという不安で一杯。 会社を立ち上げて約4年、そんな浮き沈みが続いています。しかも1日単位で。 会社なんかたたみたい。 どんな仕事でも良いから雇われに戻りたい。ひどい

          はじめまして。