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最愛について

あなたにとっての最愛の人は、どんな人ですか?
どう笑いかけてくれますか。
どんな言葉をくれますか。

あなたがどう足掻いても笑えない時、
どんな顔であなたを見るのでしょうか。

私は今年に入ってから、
とにかく自分を信じて、信じて、信じている。

新しい環境だから
そうでもしなきゃ、こなせない毎日だったし
少しでも信じる力が抜けようともするならば、
誰かの前で”自分”ではいられない。
んー、そう言い切ってしまうと、
悪い意味になってしまいそうなので言い換えると
”自分を信じる力”を頂いているといったところだろうか。

今までいちばん自分に足りなかったもの。
いちばん自分が欲しかったもの。

根拠なんて無く、
信じたいし、信じられたい。

おーっとここは避けてしまいたい。
逃げてしまいたい。
今までの私ならうまく逃げているぞ
ってことでも、
「あなたなら大丈夫」だと
言ってもらえる場所で
上手に怖がりながら
なんとかやっている。

他には、自分をよく笑わせてあげるようになった。
いつもなら笑わないところで、
クスッとしてみたり
現実に追われそうな時ほど、口角を上げてみる。

そうしてる方が、迫ってくる物事も
なぜか楽しいことばかりになるから。

以前の私は、なんでも悲しんで
過去にしがみついて、
なんで私だけマインドだったため
今この瞬間にある楽しいことも
幸せなことも、感謝が溢れることも
見逃してしまっていた。

それに気づいているのに、
見て見ぬフリをした。

でも、ある日突然、他人のまま他人になった人が
どんどん楽しい方を選んでいたことに、
私に傷を付けた人が
外の楽しいところへ行ってることに
好きになった人が
困難を困難と思わず笑っていることに
気づいてからは、拍子抜けしてしまうほど
自分のもったいなさにも気づいた。

どんな人でも
ズンズンと先へ進むのに
当の私は蹲ってばかり。
な、なんか、悔しくないか!!!!

私だって、
この瞬間をとびっきり笑顔で過ごしたい。
私にだって、見たい景色は沢山ある。
私を必要としてくれている人の側にいて
精一杯自分の力を振り絞りたい。

何より、誰にも負けない温かい日々を送りたい。
誰もが見逃してしまうような
微笑みくれる小さな出来事を
外からでも拾っていたい。

自分が背負ってきた悲しみを
これから起きる事にタグ付けするのでは無くて
過去の痛み達を、
今の、これからの常備薬にする。
土台となった暗いエピソードを
いつも持ち合わせ、
誰かへの、何かへの感謝へと変える。

それらは唯一無二の私を作る。

周りから見ればどんなに普遍で
あたりまえな1日でも
私にとっては、
ずっと心に残り続ける特別な日になる。

そうやって、関わってくれる誰かのぬくもりを
体内にまで伝わるほど感じていたいし、
もらった言葉も、帰路に着いた時
にんまりしてしまうほど、
ずっと響かせていたい。

私だけの感性で拾った愛らしい日々を
いつか形にして、誰かに届けたい。

そのために、自分の中の部屋を綺麗にしておく。
整理整頓して、新しい物事や
言葉が入るスペースを作る。
時には悲しみ、
全部涙で流して断捨離をしてもいい。
きっと大切で、忘れたくない言葉やエピソードは
体の隅々が覚えているはずだから、消えない。

こう思えるまで、
どのくらいの日々を要しただろうか。
ずっと、自分が望んだようには
変われないと思い込んでいた。
私はずっと、自信がなくて
誰の心にも残れない人だと思ってた。

どこかで自分の限界を決めて、
この先の自分も容易く想像できる。
自分が埋もれちゃいそうな程に
何かに執着していた頃は、
部屋の中は足の踏み場もないくらいに
物が溢れてぐちゃぐちゃ。
離れないでと必死に抱え込まなくったって
残るものはちゃんと、
残ってくれることも知らずに。

そんな日々を、思う存分送ったからこそ
もう、変わろうと思えた。

そう思わせてくれたのは、
”誰か”であるし
”私”である。

会ったことがない人に名前を呼ばれた。
苗字の一文字が違っていたけど、
私をしっかり認識してくれていた。
「あなたが書く文章、楽しみにしている」と
伝えてくれた。

恩師に、「助けられた」と言われた。
私は直接何もしていないし、
何かしたくてもできなかったのに
好きで紡いだ言葉が恩師へと届いた。

私が私の送りたい日々を守ったから、
私を更に”好きでいられる私でいよう”と
思えたから

誰も想像してなかった
私が、生まれ始めている。

最愛の人

誰であってもいい。
恋人でも、友達でも、家族でも。

でもいつだって側にいるのは
あなた自身。
どんな時もあなたを見てくれるのは
あなた自身。

だから、自分に優しく笑いかけて
優しい言葉をあげて

どう足掻いても笑えない時には
誰よりも頼りがいのある優しい顔で
見て欲しい。

いつだって、声は小さくとも
自分自身が最愛だと叫んでいる。
誰かに卑下された時、失恋した時、
いらない言葉をもらった時なんかに
胸がギュッと苦しくなるのは
その証拠だと思うのです。

現実がどう転ぼうとも、
焦って転んじゃおうとも
最愛の人に大きく耳を傾けて、
うんうん。と頷いてあげたいものです。







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