走馬灯の一時停止
人生の断捨離の真っただ中である。
4月には高校卒業後、故郷を離れてからの手紙の数々処理をしました。
箱や衣装ケースにため込んだ手紙のほとんどは母からの物で、これまで2度ほど処分しようとしたことがありましたが、手紙を開いて読み始めると、処分どころか、一歩も前に進めなくなり、断念していました。
でも、なにしろ今回は今年11月までには終わらせたい「人生の」断捨離。心を鬼にして手紙を読まず(少ししか)、無心にシュレッダーしました。
次に多いのが結婚前に交わした僕と妻の手紙。
少し読むと、「そんなこと、あったっけ」と思うことだらけで、「他には何が書いてある?」と興味をそそられるけど、でも、「人生の断捨離」。問答無用でシュレッダーし、数日かけて終了しました。
次なるは、ため込んだ写真とアルバムの片づけ。
この数日で2,000枚以上シュレッダーしたと思うが、1枚1枚見ながらシュレッダーしていると、あの日あの時の事が次々と思い出されて懐かしい。
しかし中には、
「この人、誰?」
「どこで写したもの?」
と全く思い出せないものも。
人は死の間際、「それまでの人生が走馬灯のように駆け巡る」と言うが、そのご臨終の際中にまったく思い出せないものが映し出され、
「えーと、誰でしたっけ、この人?」
「そんなことしましたっけ?」
などと考え込んでしまったら、
走馬灯は一時停止し、
死は先延ばしされるのだろうか。
「お急ぎください!」 ―― とか
「次、行きます!」
とか急かされちゃうのかな。
バカなことを考えながら僕の幸せな一日が始まった。
もう暫くかかるな…。
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