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親父を超えられない

「おまえ、持ってないべ?」

と、田舎の兄から数枚の写真が送られてきた。昨年のことである。
確かに持っていない。見た記憶も余りない。

小さかった頃の写真は殆どないので嬉しい。
ましてや親父と一緒で、しかも、親父に甘えている姿がとても嬉しい。
裏に、母の字で「誠4歳」とある。もっと小さいように感じる。


(多分)芭露小学校校門前

親父とはキャッチボールをしたり、海や川の釣りにも連れて行ってもらった。親父に釣り針の結び方を習った時の事はよく覚えている。

親父のバイクにまたがり、山にコクワ(キーウィに似た木の実)を採りに行ったり、農家にとうきび(トウモロコシ)を買いに行ったこともある。

親父のことは嫌いではなかったが、大きくなるに連れ、「もっとお袋のことを考えてやれよ」との思いが強くなり、中学のころから「親父の様にならない」と思うようになった。そして、「自分がお袋を幸せにする」とも。

そうやって、対抗心一杯の気持ちで親父と張り合って生きて来たのに、社会人になり、家庭を持ち、機会あるごとに親父を振り返っても、一向に親父に勝てた気持ちになれなかった。

親とはそういう存在なのだろうか。


先日、そんな親父が他界したのは70歳の時だったことを思い出した。僕はいつの間にか親父の年を越えて生きている。

親父に甘えている写真が有難い。

(まこと)


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