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私が出来上がるまで(高校時代のアルバイト)35

女子校時代の思い出は、とにかく笑って過ごした感じです。
後半は受験勉強のみでしたが、それまでは気の合うT子と人気タレントやアイドル、学校の先生のモノマネをして、恥ずかしいなど微塵も出ず、全てをさらけだしてるかのようにバカなことをしてたような気がします。

夏休みにはアルバイトもしました。
始めはなかなか社会の大人に溶け込めず、喫茶店のウエイトレスをしたものの、1週間続けばよかったくらいです。
今ではどうってことのない言葉、声掛けの「いらっしゃいませ」すら勇気がいったのです。
自分に自信がなかったのと思います。
母親からは[何も知らないくせに][子供は黙りなさい]何か話しに加わりたいとか、聞いてみたいと思っていても、母親はめんどくさいので、いつも子供を排除してきました。
うまく教育できなかったのでしょう。
頭ごなしにおまえはなにもわからないのだからと言われると、自信がなくなるものです。
父親は私を誉めてくれていました。
しかし、母は違います。
あまり子供と向き合ったり関わったりしたくないのが態度にありありと出ていました。
愛していないわけではないのですが、上手に接することができなかった人だと思います。

子供の頃は天真爛漫ではあるものの、本来の性格を母は上から押さえ付けてきたように思います。
心傷つくことも多く、よく言われるあの言葉も何度も投げられてます。
「あんたは橋の下から拾った子」
ちょうど川が近くにあったので、そこの橋の下だと、笑いながらいつも言ってました。
小学生の私には冗談に取れない時もあって、いつも怒ってばかりいるのはそう言うことかと思ったりもしてました。
もちろん、のちに自分が母親になると、これが反面教師になっています。

そんなこともあり、自分には自身がないのが社会に出るとはっきり出ました。
大人は全て正しい。
立派だ。
私は何も知らない子供なので、発言や行動は控えなければならないと刷り込まれていました。
わずかバイトしては辞め、また次にと渡り歩いていました。
そうするうちにだんだんと慣れてきたのも事実です。

特に楽しかったのは、夏休みにうちからは少し遠いのですが、電車で1時間近くかかる所のファミリーレストランでのウェイトレスのバイトは青春でした。
なぜこんな遠いファミレスを選んだのかと言うと、学校での仲良し3人組のT子ではない方のKっちと一緒にバイトしようと誘われたからです。
友達と一緒なら続けられるかも、とも思いました。

制服も可愛くて、長い髪をポニーテールにして臨みました。
私は昔から暗記が得意です。
メニューを渡されて、数日後の初バイトの日までに、このメニューを全部暗記しました。
これは、認められたいという気持ちと、友達も同時にスタートなので負けたくないと言う気持ちから、暗記はスラスラといきました。
なんせ、メニューは美味しそうなものばかり。
苦ではありません。

それと、この仕事はただ料理を注文受けて、運ぶだけではなく、バックヤードで簡単なドリンクやデザートを作れるのです。
これがすごく楽しかったです。
慣れてくると裏でアイスクリームやジュースは飲み放題。
勝手に自分パフェを作って食べまくりました。
それだけでなく、バイト仲間も同じ高校生も多く、たまに大学生もいて、年代が同じくらいの男女がいてとても仲良くなり、まるでバイトがサークルかクラブ活動のように思えていました。

ちなみに、この女子校ではクラブ活動は入らないままです。
なぜならアルバイトして交通費やお昼代を少しでも捻出せねばなりません。
奨学金は借りれたものの、学費と交通費は母に足してもらわないといけないので、クラブ活動など許されません。
しかし、これは私には性に合っていました。
お陰で楽しい学校生活にプラスされ、今思い出しても青春真っ只中だったなぁと思います。

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