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私が出来上がるまで(花の女子校から大学受験)36

この女子校時代での1番楽しかったアルバイトではちょっとした恋心も。
このバイト仲間には私と友人のKっち、他にも女子が2人ほど、後男子も大阪大学在学中の人や、公立高校の男子が数名とフリーターも確かいました。
時々数名でバイト終わりにお茶して帰っていました。
中でもサーファーっぽいY君が1番モテていました。
私も彼と話すとウキウキして楽しかったです。
けど、前の高校のI先輩みたいな恋心ほどは湧かなかったです。
とはいえ、バイト中もバックヤードで変なパフェを作って遊んだり、バカなことをしながら、和気あいあいといい人たちに囲まれてました。
バイト以外でも海だったか?場所は忘れましたが遊びに行ったりもしてます。

そんな楽しい夏休みも2年までです。
3年になると受験の追い込みです。
自力では自信がなく、母にまたお願いをして、夏休みだけ予備校の夏期講習に行かせてもらいました。
もちろん親友のT子と一緒に通いました。
この夏期講習では勉強で実になったとも言えず、焦るばかりです。
この頃よく本を読んでいて、いろんな本を読んでました。
中でも、宮城まり子さんの《ねむの木学園》
肢体不自由児の学園での話です。
私の父も交通事故で片足を駄目にしてしまい、障がい者になりましたが、中には生まれつきの人もいます。
なかなかまだ社会が健常者と一緒に暮らせるようにはなっておらず、出会うことは殆どない世の中です。
時々電車とかで出会うことはあってもごくわずかです。
不自由な世界を知ることはないのです。

この本を読んで、五体満足に生まれていることはラッキーであること。
けれど、肢体不自由であっても心が豊かになれること。
初めて自分とは違う他人を意識した本でした。
そして、体が動く限り、体が自由に動かない人の手足になりたいと思ったのです。
それで、大学は社会福祉学科へ行きたいと思いました。
ただ、遠くへは通えません。
母はお金を出し渋ります。
もちろん国立大学へ入ればまだ学費の面で助かりますが、とてもじゃないですがそんな学力ではありません。
私立は学費がどこも高いのです。
それに加えて一人暮らしの費用など母が出すはずがありません。
なので、なるべく学費が安くてうちから通える場所で探しました。

これがなかなかないのです。一応第一志望は決めました。
しかし、この条件に合う学校がなく、滑り止めには英文科を選びました。
なぜならこの時は英語が1番得意で、英文科なら引っかかるだろうと言う安直な考えでです。
しかし、英文科でも出来るだけレベルが高い学校へ行きたかったので、学費や場所で京都の学校にしました。
後、社会福祉学科でかなり遠くて通えないかもしれないけど、一か八かで滑り止めの二次試験で一校選んでます。
その3校申し込みました。
一応第一志望の学校は、確か1点か2点足らずで落ちてます。
学校に点数が送られてきて知りました。
一問の不正解が運命をわけました。
けど受かったにせよどんけつ。
滑り止めの英文科の学校はうちから片道3時間くらいかかります。

受験の日、ハッキリ覚えています。
第一志望の学校は偏差値や模擬試験で合格圏内充分だったので、後の2つはほぼ眼中になかったです。
下見もせず、受験日に向かいました。
4回も乗り換えます。
最後の乗り換えで間違えてしまい、知らないところまで行ってました。
早めに出ていましたが、間違いなく遅刻です。
既に試験は始まってますが、まだ待ち構えた電車の中で、折り返さねばと焦っていました。
そして、最寄駅を降りてから猛ダッシュです。
走るのだけは早かったのですが、坂道もあったり、とにかく初めてのところなので不安でたまりません。

髪振り乱して、鬼の形相だったと思います。
かなり遅刻して教室に入りました。
心臓はバクバク、髪も服も乱れまくりです。
それでも、得意な英語。
急いで解きました。
もぉ落ちてもいいやって思っていたのです。
第一志望が合格するだろうと言う思い上がりから。

そして、もう一校は二次なのでまだうんと日にちが空きます。

なんと、この英文科が合格していたのです。
英語では国立大学の滑り止めに使われる学校なので、レベルはまぁまぁいい方だと思います。
英語が得意な生徒が集まる学校です。
あんな急いで解いてよく合格したなと今でもこの奇跡に感謝しています。

しかし、私の行きたいのは社会福祉学科。
英文科ではありません。
第一志望が落ちたとわかってから、二次の学校を真面目に受けようと思いました。
しかし、これは運命なのでしょうか、試験の前日、高熱を出しました。
滅多に熱の風邪など引かないのに。
40度くらいあったと思います。
その学校まで片道3時間では行けないくらい遠い学校です。
(これ、合格してこの学校に決めたら私はどうするつもりだったのか?😅
恐らく寮に入れて欲しいと頼んだのと思います)
それでも次の朝行くつもりをしていました。
しかし、歩くと空中を歩いてるかのようで、真っ直ぐ歩けないのです。
泣く泣く受験を諦めました。

と、言うことで、私はまさかの1番予備にしていた英文科へと進むのです。

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