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諦めることを選択肢に

つい僕らは諦めることを選択肢から除外する。
しかし僕は諦めないことで経歴に傷を付け、人生を無駄にし、要らない失敗を沢山してしまった。どのみち結果はあまり変わらなかっただろうから後悔はしていないが、もう少し人生を楽しめたと思う。まあ釈迦も人生は苦しみであり、得たいものも得られないと言っているので、これはこれで人生らしい、現実らしいとも言える。
第一希望はまず手に入らない。イチローは50まで続ける気だったらしい。

結果は目標よりちょっと下に落ちつくもの

イチロー

第二希望も怪しい。

第三希望が手に入ったらラッキー。

第一希望はダメでもともと。大体の大きな方向性ぐらいの感覚で、本気にはしない。すぐ諦めてもいい。むしろすぐ諦めた方がいい。

第二希望は粘ってみる。達成できるかできないか微妙なラインを自分に課して、何十回か試す。それで失敗の方が多いなら向いていないということで見切りをつけて諦める。頑張ってやっている、ということは無理をしているということ。
第二希望でもそこまで本気にしてやらない。無理そうなら粘らない。

第三希望でもやることは同じ。しかし少し粘る。達成できるかできないかは曖昧だが、比較的自信のある内容を第三希望にする。それでも達成できたらラッキーだと思うこと。
第四希望で最低限の目標だ。諦めるわけにはいかないもの。《生きる》とかね。

とにかく選択肢に《諦める》というコマンドがないと、ジリ貧になって気付いた時には人生が詰みかねない。

そもそも元々《諦める》という単語は《明らかにする》という意味合いであり、非常にポジティブなものなのだ。
積極的に明らかにしていこう。

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